作者・八田てきさんから読者へメッセージ
――本作の中で特に気に入っているシーンやセリフがあれば、理由と共にお教えください。
上巻で言えば、後半、燿一のすべての仮面がそぎ落とされて「一緒に地獄へ堕ちてくれって言ってみろよ」「僕はそんなにも愛しがいのない人間なのかなあ?」と、憬に本心をぶつけるシーンです。燿一も幼少期の辛い過去ゆえにアイデンティティと主体性を無くすことで生き延びてきました。幼いなりにもあらゆる顔を使い分ける空虚な人でしたから、愛するがゆえに憬の抱える闇を自分の鏡に映せば映すほど憬の世界に引き摺り込まれてしまったのです。
あのシーンを描くにあたっては、こんな本音が燿一から出てくるのか、これはやはり相手が憬だからこそ、生まれて初めて吐露できたものに違いないという驚きが私自身にありました。憬が自身のインナーチャイルドである死神を燿一に見出したのは、燿一もまた母親が死んだ時のまま時間が止まってしまっていたからです。
下巻では、ふとしたきっかけで2人が熱海に行くことで憬の記憶が甦り、岬から脚本を手放し両親に対して鎮魂するシーンが好きです。憬の魂に焼き付けられた父と母の情念が成仏し、日昭の東社長に操られて同じ轍を踏みかけていた彼らがその寸前で「生きる」という選択と悟りに至った瞬間でもあります。
また、東社長に引導を渡して壽子さんから手紙が届くシーンは、憬のすべての苦悩が救われたカタルシスの象徴として描きました。両親と抑圧されていた幼い自分の鎮魂を経たからこそ、憬が書く「言葉という呪い」が今度は燿一の台詞通り、生きるための味方になったのです。あのシーンは、私自身描きながらとても感慨深いものがありました。
――作品の世界観にすっかり惹きこまれてしまいました。普段作品のストーリーはどのようなところから着想を得ているのでしょうか?
普段から映画作品に触れることがとても好きなので、スランプに打ちのめされながら映画からインスピレーションをいただくことはよくあります。自分の中にあるイメージが頭の中で映画作品として上映され、それを漫画に描き起こしていくような感覚です。今回はだから北原憬を脚本家にしたのかもしれません。また、物語の重要なシーンに取り組むにあたっては敬愛する方々の音楽は欠かせません。音楽が醸し出す空気感や風景に力を貸してもらいながら導き出されるシーンや台詞もあります。音楽の力は本当に偉大だと思います。
――今後の展望や目標をお教えください。
私の場合、展望や目標を持つというよりは、その都度自分に何ごとかを訴えてくる世界を描きたいと思う方です。もしかすると、次作は近未来的な世界への挑戦になるかもしれません。描きたいものは沢山あるのですが、表現力が足りなくてもどかしい気持ちがあり、ひとつ形になるたびに己の力量不足を痛感して歯痒く悔しい思いがあります。
今作で勉強になった糧を活かしつつ、またどんな生命の物語を形にできるのか楽しみでもありますが、それによって私が少しでも創作という生きものの毛細血管の一脈として還元できることを願うばかりです。
――最後に、作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いいたします。
いつも応援してくださり、本当にありがとうございます。皆様から頂く励ましの言葉やお手紙、声援のひとつひとつに大きな力をいただいています。また、感想や考察を拝読するのが大変楽しく、そのように作品を読み込んで頂けることが本当にありがたく嬉しく思います。
今作の解釈にただひとつの正解というのはありません。私は私の思いを持って描きあげましたが、もし、読者の皆様が持つ心の鏡にこの作品が映し出されることがあれば、それは皆様1人1人の物語として考えて頂ければと思います。今後も皆様に楽しんで頂けたり、少しでも何かを考えるきっかけになったり、そんなよすがのひとつとなる作品を提供できるよう誠心誠意励んでいきたいと思っておりますので、あたたかく見守っていただけますと幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い致します。