叙情的にして斬新な映像美を湛えた作品を次々と発表し、多くの映画ファンを魅了し続けている岩井俊二監督。1991年の処女作「見知らぬ我が子」(関西テレビ)以来、多数の深夜ドラマを手掛けていた彼が、本格的に映画界へ進出するきっかけとなったのが、1993年に監督・脚本を務めたドラマ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」だ。テレビドラマでありながら、その年の日本映画監督協会新人賞を受賞するなど、この「打ち上げ花火―」で得た大きな評価を糧に、その後岩井監督は、「Love Letter」(1995年)、「スワロウテイル」(1996年)、「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)、「リップヴァンウィンクルの花嫁」(2016年)といった数々の名作を世に送り出すことになるのだ。
そんな岩井監督にとっての記念碑的作品「打ち上げ花火―」を原作とした劇場アニメーション映画が、このたび8月18日に公開された。そこで今回は、岩井俊二監督に、原作ドラマ「打ち上げ花火―」に込めた思いや撮影時のエピソード、さらにはテレビにおける創作活動の展望などを聞いた。
「打ち上げ花火―」をあのタイミングで作れたことは本当に大きかった
──岩井監督が手掛けられた原作ドラマ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、監督自身にとっても大きな意味を持つ作品ではないかと思うのですが。
「『打ち上げ花火―』を撮り終わったとき、『これで次に映画の仕事が来ても受けられるな』と思えたんです。その意味では、作り手としてドラマから映画にシフトチェンジするきっかけになった作品ですし、20代のころにずっと作り続けてきた深夜ドラマの集大成的な作品ともいえるんじゃないかと思います。
『GHOST SOUP』(1992年フジ系)や、『FRIED DRAGON FISH』(1993年フジ系)など、それまで僕はほぼ3カ月に1本くらいのペースで深夜ドラマを作っていたんですね。あの時期が自分の人生の中でも一番忙しかったんじゃないかというくらいの創作ペースだったんですけど、毎回、自分の中で課題を見出して、それをクリアすることで成長していたという感覚がある。それだけに『打ち上げ花火~』は、いろんなものが詰まった作品になりましたね。もっと言えば、自分の技量という意味において、おそらくあれより1年早かったら撮れていなかった作品だと思います」
――「打ち上げ花火―」では、どのような課題を設けたのでしょうか。
「かねてからやろうとしていた“子供たちのラブストーリー”をいよいよここでやるか、という感じだったんですよね。『if~もしも』(※1993年、フジ系で放送されていたオムニバスドラマ)というシリーズの企画だったわけですけど、最初は、自分がずっと大事にしていたとっておきのネタを、企画ものの1枠で使い切っちゃっていいのかな、とも思ったんです。当時のプロデューサーの石原(隆)さんも、『もったいないから、来年2時間ドラマでやらないか』と提案してくれるくらい気に入ってくれていましたし。ただ、後生大事に抱え込んで次のチャンスを狙うより、やれるときにやって、次のチャンスで何も作れなかったらそこで終わり、という生き様の方がかっこいいなと思って(笑)。作品というのは、子供と同じで、ここで生まれてくるのが運命なんだと後先を考えずに撮り始めたんです。
それで、いざ蓋を開けてみたら、予想していたよりもはるかに多くの方々に見ていただけた。結果的に、映画館でも上映してもらえて、うれしかったですね。やはり、『打ち上げ花火―』という作品をあのタイミングで作れたことは本当に大きかったと思います。作り手は仕事を選り好みせず、チャンスがあれば素直に飛び込むべきなんだと気付かされた、というか。フィルモグラフィーを輝かしいものにしようとか、体裁を考えて仕事を選んでいくと、結果、最後は仕事に嫌われることになると思うんですよね(笑)」