長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評』(毎週土朝11:03-、テレビ東京)をチョイス。
生まれているのに、覚えてないもの『伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評』
”テレ東フリーク”である伊集院光と、元テレ東の佐久間宣行が、テレ東の番組を勝手に批評(トーク)する番組、『伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評』。伊集院光、佐久間宣行、池谷実悠の3人が、全編ラジオブースのような(というかラジオブース?)狭いスタジオにて、ただただ、トークを繰り広げる。この番組にはアバンタイトルが存在し、伊集院のトークによるひとウケと共に番組ロゴが画面に表示される。たとえばスプラッター映画なんかでは、アバンタイトルで無残に殺される犠牲者が描かれ、「この映画はこうですよ」という宣言をするのが定番であるが、これも「この番組はトークでいきますよ」という宣言なのだろう。ストイックな番組が好きな私からすれば、ひどく高揚してしまう宣言である。そして、その高揚を裏切らない、濃密なストイックさを見たのであった。
毛色としては、『行列のできる相談所』に近いかもしれない。もちろん規模や内容はまったく違うのだけど、編集による矢継ぎ早なトークというか……。トーク、はい次、トーク、はい次!という感じでポンポンと進む、速度という面ではどこか通底しているのではないか。また、舞台は狭いラジオブースでありながら、視点が豊かであるという点も、長寿番組のゴージャスさを想起させるのかもしれない。向かい合っている3人の中央に置かれたカメラがひとりでに動き、それぞれの表情を次々に捉えながら、客観的に3人を映す視点も存在している。また、マジックミラー(?)越しの視点も存在していて、そのカメラには、反射したスタッフが映り込んでいる瞬間があったりもする。ごく限られた舞台でのトークショーでありながら、見る楽しみもあるという面白い番組だ。
さて、5月18日(土)放送回には、1995年の渋谷についてのトークがあり、TVer限定で、そこを掘り下げた2分間のトークが配信されている。ごく私的な話なのだが、このところ、90年代後半~00年代前半にかけての日本に強い感傷を覚えるのだ。正確には、私の生まれた1996年~2003年付近。生まれているのに記憶のない、この期間。私に記憶がないように、世界も止まっていたのではないかという錯覚による感傷なのかもしれない。私が知覚していないだけで、あらゆるものは確実に動いていたのだと。今の渋谷はよく知っているけれど、生まれていながらも知覚していない渋谷が存在し、その渋谷から変わったものや、変わらないものが、元気に自意識の育った私によって知覚されているという事実……。私はYUKIの『PRISMIC』というアルバムが大好きなのだが、発売された2002年当時の新宿駅にアルバムのアートワークが垂れ下がっている、古いデジカメで撮られた写真を見て、思わず涙ぐんでしまった。2002年、私はもう生まれていて、小学校に入学したばかりであった。なにひとつ覚えていない。が、そのときにはもう、『PRISMIC』が発売されていたのだ。この感傷を言い表すのは難しい。感傷というのも違うような、もっと幸せなものかもしれない。ひとまず言えるのは『PRISMIC』メチャいいんでオススメです。
■文/城戸
城戸(きど)
X(旧Twitter):@sh_s_sh_ma1996年生まれ。映画を観るのが好きなフリーライター。オモコロなどWEBメディアを中心に活躍。
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エピックレコードジャパン
発売日: 2002/03/26