7月5日放送の「それSnow Manにやらせて下さい」(毎週金曜夜8:00-8:54、TBS系※スペシャルは夜8:30-10:00)ではゲストに二宮和也が登場。その場にスタッフがいないSnow Manと二宮だけの空間でトークを行い、これまで明かされていなかった出来事について言及するなどして、X(旧Twitter)では番組名の「それスノ」がトレンド入りした。
二宮とフランス・パリ滞在中のラウールを除くSnow Manの8人は番組収録後に居酒屋に集まり、深澤辰哉は「僕たちの希望で設けさせていただいて」とSnow Manからの求めで今回の企画がかなったことを伝える。
番組での共演経験はあるものの、じっくりと話をする機会がこれまでなかったこともあり、渡辺翔太が「なんで二宮くんがOKしてくれたのか」と不思議がると、二宮は2023年、事務所から独立したことで、Snow Manの直属の先輩という形ではなくなったことから「自由に発言できる気がした」と理由を明かした。
二宮はSnow Manからの質問に答える形で、事務所を退所したことで経験した変化や、TOKIOの国分太一から言われた心に残る一言、台本を覚える際の考え方などを述べる。嵐の結成の経緯については、デビューのために集められたメンバーだったため「0日結婚みたい」と表現。
すると、渡辺はSnow Manの結成の経緯にも触れ、「(デビュー前のメンバーの)増員って前例がたぶんなかった」と、2019年に6人組だったSnow Manに向井康二、目黒蓮、ラウールが加わった時のことを振り返る。
目黒は、加入前のSnow Manは「直属の先輩」という位置で、「俺からするとSnow Manも怖かったよ」と告白。「しょっぴー(渡辺)とか、ただのヤンキーだった(笑)」と暴露すると、深澤と阿部亮平は当時、自分らが後輩を指導するような立場にあり、それゆえの厳しさだったと弁明した。
また渡辺は「3人だけじゃなかった」と、向井、目黒、ラウール以外にも、加入メンバーの候補がいたことも明かす。実は、10人以上の編成になる予定だったが、当時のSnow Manの6人で追加メンバーを選定。
佐久間大介はその時の自分たちに足りないものを考えた上で「この3人に力を借りよう」という気持ちで決めたと言い、阿部は「3人も一人ひとりの人生があるから。そこの時点で9人の覚悟がなかったら、今はなかった」と回顧。
「3人にはめちゃくちゃ感謝している」という渡辺の言葉に、目黒は「俺らもめっちゃ感謝」と返し、二宮は「大人になってからデビューするってそういうことだよね」と述べた。
二宮は現在のSnow Manについて「みんなが主体で楽しいことができるんじゃないか」と言い、記録だけがすべてではないが、作れる記録は作ったほうがいいとすすめる。嵐もさまざま記録を持っているが、Snow Manには「一発30万」と一回のライブで30万人の動員をすることを提案。
累計動員数は公演数を重ねれば更新できる可能性はあるが、1回での動員数は、1999年のGLAYの20万人以来、記録が更新されておらず、実は嵐でも狙っていたがかなわなかったという。二宮は今のSnow Manであれば「いける思う」と期待を寄せた。
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