女の生き方をこうして三通り見てきたわたしは、いったい結婚というものを自分はどう考えていたのだろう、とぼんやりと思った。
この一年は、暇が出来たために落語によく通った。人間のダメさ加減を、これでもかと詰め込んだ落語に救われていたのかもしれない。人情に触れるという意味では文楽もいいものだが、東京の国立劇場が閉じてしまったので、なかなか行けない。落語は寄席に行ってぼうっと考え事をしながら流して聴いているのも悪くないし、和蝋燭の炎が揺れる薄暗いお座敷で桂吉坊師匠の芸に見入り聴き入るもよし。談春師匠の独演会のように大箱のなかの群衆の一人となり、こちらへどっと迫り押し込んでくるような緊張感のある場に身を置くもよし。落語に出てくる女に共感するというのではない。むしろ、出来すぎた女は架空のものとして措き、男のダメさを観に行くとでもいうのだろうか。男の落語家が演る女は、男の身勝手な理想形の女とも言われるが、ダメな男を掻き口説くようにしていうことをきかせるのが妙に上手い。とてもとてもわたしにはできない。それと対照的に、女の小春志師匠が演る「お見立て」の遊女などはカラッと乾いた酷薄さがあってしびれ、娘もそれが分かるのか聴き入っていた。
あの頃の女は男を説得する形でしか何もできなかったのねえ、としみじみ談春師匠にいうと、それは本当にそうで、落語は元の台本(ほん)がそうなっているんだから俺にはどうしようもない、と言われた。別にどうにかしてほしいわけじゃない。ただ、自分が型だけをなぞってきた女の振る舞いの歴史の深さを想った。
別の時には、家庭における男の存在意義とは何だと思うかを問うたら、存在意義じゃなくて、惚れたから世話をする、それが夫婦ってもんだろう、といささか立腹して言われた。そうなのか。では、季子はほんとうに夫に惚れていたのだろうか。確かに辰次郎はハンサムな人ではあった。しかし、わたしが知るころまでずっと惚れていたとは到底思えない。男のどうしようもなさを、ただ堪えて自らの運命として受け入れていたに過ぎないのではないか。季子、助けてくれ、と泣きつかれてドンと胸を叩いて引き受ける以外の生き方を知らなかったのではないか。優しさは常にあった。目の前にいる人がお腹を空かせていたり、凍えていたりというのを見過ごせない人だった。夫の世話はいつも行き届いていたし、娘である母に対し物心両面で気遣っていたのも彼女だった。辰次郎は、家長として恰も物事を決めているかのような顔をして、「役柄」の方だけをやっていた。東京の女学校を出てすぐに結婚した京子とて、同郷同士、親が娘と息子を結婚させようということになって、相手の顔も見ずに遠く離れたところへと嫁いでいったに等しい。どう見ても、惚れた仮説には無理があるだろう。
わたしの知る女たちの人生は、かつて女は周りに働きかけることでしか自らを取り巻く状況を変えられなかったということを示している。女は一生懸命に男を変えようとして、あるいは子どもを望みどおりに教育しようとして、その代わり絶え間ない労働と愛情とを差し出してきた。それは経済力がついたからといってすぐに変わる構造ではない。現に、わたしの知りうる限り、金銭を得るために額に汗して働いていたのは辰次郎ではなく季子であった。
なぜ女は我慢を重ね、なおかつ懲りもせず望みどおりにならない男に働きかけようとするのだろう。男と女は、なぜかくも違うのか。
◆
女が望むものは、ひょっとすると男が望むものより深く果てしないのかもしれない。周りに礼儀正しい立派な人格の人間になってもらいたい、愛情深い人でいてほしい、賢く思いやり深い子どもに育ってほしい。女は身の回りをせっせと整え、居心地のよい家庭を保とうとする。京子が身体の続く限り頑張りつづけたのはなぜかと言えば、そういう生き方がもう身に染みついてしまったからである。献身的な努力と向上心を向ける対象がもはや身近にはなく、子どもたちが帰ってくる家を保つことに目標を置かざるを得なかった。
同時に、男にとって「どうだっていい」とされるものの数々は、実はそんなに完全にどうでもいいというわけではない、というのをわたしは知っている。女ほどに、住み心地や食事のあれこれ、清潔さに対するこだわりはないかもしれないが、ちゃっかりと快適さを享受し満足しているのは見れば分かるからだ。だが、男と女では求めるものの広さも深さも異なるので、女のおままごととも見える努力は四方八方に行きわたり、挙句の果てに受け止める先を失ってどしんと落下する。その自己嫌悪をなだめて落ち着かせるのも男の役割ならば、それはそれで上手くいく夫婦の形なのだろう。
逆説的に、現代における夫婦というのは、持て余す時間がありすぎてかえって難しいのかもしれないと思う。少し前の時代の男性といえば、ちょっとした大工仕事が普通にできたし、家や庭や塀などの維持にはそこそこ男性の労力を必要とした。しかし、核家族化が進み、都会化と機械化が進むと、共同作業の領域は減っていってしまう。週末は田舎に住んでいたから分かることだが、庭の木を切ったり草を刈ったり薪を小さく割ったりする仕事があればあるほど、夫婦仲というのは悪くなくなるものだ。キャンピングなどアウトドアでもいい。男が活躍する場をあえて設けなければ、彼らは現代の家庭に居場所がない。都会の狭い空間にただ一緒にいる、というだけでは、資本主義的な消費しかすることがなく、共有するプロジェクトが少なすぎる。ずっとサラリーマンとして忙しく働いていた人が定年を迎えた後の生活ぶりの難しさは、猶更だと思う。
むかしはもっと、生きていくだけで大変だっただろう。今ほどに便利な機械もなかったし、朝お米を研いで浸水させて焚き、野菜の泥を洗い、刻んでおみおつけにするのも、ぬか床をひっくり返すのも、神棚と仏壇に御飯(おっぱん)を上げてからお膳を用意して、人数分の朝餉(あさげ)の準備を整えるだけで大変なことだった。外で働く女性も必死に託児所と職場を往復し、洗濯をして子どもの弁当を作り夕飯を用意するだけで日々が明け暮れていた。紙おむつや洗濯機や食洗器、インターネットが救ってくれたものは大きい。また多くの家が子沢山でもあった。
祖母たちの時代、男も女もただ生きていくだけで日が明け暮れ、とても人生に惑う余裕などなかったのではなかろうか。他所様の人生がどうなっているかなど、せいぜい向こう隣り何軒分かしか分からなかったろうし、SNSもなく、他人と比べる暇さえ与えられなかった。それに、結婚というのは僅か一世紀ほど前までは一定の資産があったり稼げたりするものだけができる特権だったわけだから、結婚した人、すなわち、何か「守るべきもの」を持つ人だったわけである。働くこと、頑張り続けることは、今あるものを守るために必要なこと。きっと、それ以上は求めても得られない事どもがあることへの諒解と背中合わせだったのだと思う。
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。
X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura