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【連載】三浦瑠麗が「夫婦」のあり方について問う連載「男と女のあいだ」 #3 男を巣立たせるということ

2024/08/28 18:00

三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」バナー
三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」バナー@Ari HATSUZAWA

国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第3回は、夫婦を卒業することについてお届けします。

#3 男を巣立たせるということ


わたしは昔から「ひとり」だった。一緒にいるあいだにそのことを理解できた男性は少ない。それはきっと相手の洞察力の問題というより、わたし自身の所為でもあるのだろう。女の母性が強ければ強いほど、自我が奥底に頑固に仕舞われて在ることが外見(そとみ)には分からないからである。人生で傷ついたのは、いつも外傷ではなく内面的な傷だった。それを誰かが救うことはできないし、わたしから人格を奪うこともできない。そのようにして、長い年月をかけて自ら生きようとし、立ち直ってきた。そんなわたしにとって、一方的に自らの一部であると見なされるのは愛した夫だった人であるとしても馴染めないことだった。

結婚が恋愛よりも怖いのは、誓いで交わした約束の言(ことば)の重さなどではなくて、堆積(たいせき)した時間とそこに落としてきた自分の諦めが重たすぎるため。恋愛ならば相手に真正面からぶつかってもよいが、婚姻となると全てを賭けてぶつかることがなかなかできない。だから、過去に子どもが大きくなったら婚姻関係を解消しようかということを軽い気持ちで話し合ったことはあったが、こうして向き合わなければ、到底離婚にまで辿り着かなかっただろう。

長きにわたり関係性を築いてきた夫婦の離別は、時間の蓄積ゆえに重たい。つい半身をずらし、その重たさから逃れたい衝動に襲われる。海の底を見下ろしつつ、そこにあるものを見つめる。踵(きびす)を返して立ち去りたいような、立ち去りたくないような。そこに、すでに諦めが揺蕩(たゆた)っている。一瞬一瞬を生きているあいだは、時は美しくみえる。けれども、死んで塊となった時は常に過去であり、その思い出がたとえ喜びであろうとも、生きていることへの悲しみを誘う。それが憂鬱のもとなのだろう。何かを求めて新しい所へ踏み出すよりも、意に添わないしんどい時間をやり過ごしてしまう方が楽なのだ。

結婚したのも初めてなら、離婚したのも初めてだった。離婚しなければ伝えられない言葉の数々があったと思う。献身という行為は、一見してする方が大変に思えるが、寧ろ止めるのが難しいということも分かった。喧嘩し、もう二度と子どもにも会わせない、というような別れならば分かりやすいだろう。しかし、離婚後も相手を友人として思い遣り、父親としての全き権利を損なわないようにするにはもう少しの工夫と努力が必要である。そのような離別は、ある意味においては子どもを巣立たせる行為に似ているのではないかと思った。

男を巣立たせる、そのことをわたしは「卒業」と呼んだ。こうした形の離婚に卒業という言葉を当てはめようと主張したのは、偶然にも同じ時期に離婚を決めた、仕事で得た友人だった。普段から頑張り屋で侠気(おとこぎ)のある彼女が、今後の人生においても自らに忠実に生きていくであろうことをわたしは疑わない。その人は子どもをしっかり頼もしい人に育て上げたのち、一線を引くことで、つれあいへの不満に終始する人生ではなく自らに真摯に生きる道を選んだ。



夫婦というのは、多かれ少なかれ誤解の上に成り立っている。そこを敢えて突き詰めない方が上手くいくからである。例えば、姑がはたして本当に幸せであったのかどうか、今でも分からない。縁を得た当初は、自分は祖国アメリカにある母の墓の近くに眠りたいから、そこはあなたによろしく頼むと度々念を押されたものだ。大概、家族は本人の意思の領域にまで踏み込んで勝手に判断してしまうから、これはむしろ血の繋がらない間柄であるがゆえの信頼であった気がする。それでも、亡くなる前にはもう面倒だと言い、東京にある菩提寺の禅寺で構わないとした。その墓には、彼女がかつてお産で亡くした娘がひとり眠っていたが、それだけを理由に、彼女は墓について得心したのであった。

突然の訃報を聞いて駆けつけた時、妻に先立たれた舅は独りぽつねんと葬儀社の座敷に座り、通夜をしていた。自らに添うて長年異国の地に暮らし、終いには文字通り日本に骨を埋めることになった、妻の殊勝(しゅしょう)さ、健気さ。そうした理解でもって、彼はつれあいの決断をセンチメンタルに解釈していた。己に引き摺られた他者の運命をそうやって感傷的に捉えられる程度にまで、夫は妻を同化していた。それはやはりある種の愛の仕草なのだろう。傍目にも仲睦まじい夫婦ではあった。

しかし、墓のことは本当に面倒臭くなっただけかもしれない、とわたしは思った。60代で突然逝った彼女は、自分が先立つことを予め知らなかったであろう。それでも、夫を変えようとする自らの働きかけは徒労であることを彼女は悟っていたのではないか。国際結婚故ではない。極言すれば、そもそもすべてのことは初めから徒労である。徒労を悟ったからといって生きるのをやめるわけにもいかない。それに、女自身も、自分が何を求めているか分かっていないのかもしれないのだった。

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三浦瑠麗
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。

X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura

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