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【連載】三浦瑠麗が「夫婦」のあり方について問う連載「男と女のあいだ」 #3 男を巣立たせるということ

2024/08/28 18:00


人生に5年、10年がむしゃらに働く時期があってもよいが、ある意味ではそれが落ち着いてよかったとさえ思う。娘と時間を過ごしながら、少し早めに人生の第三の時期について考えることができたからである。学業を修め、社会に参画していく時代。キャリアを築きながら忙しく働き、子どもを育てる時代、子どもが巣立った後に軽くなった責任のもと、より自由に生きる時代。身終(みじま)いの時代。

親子はいずれ双方が子離れ、親離れを経て、母子密着を卒業する。しかし、母にしてもらったこと、受け取ったものの数々は決して無駄にならずに豊かな記憶として心に残り、次世代へと受け継がれる。遠くに自分のことを案じてくれる母がいると思うだけで、仮に異国の地にあっても安心して頑張れるだろう。帰る場所があるからだ。反対に、男と女は夫婦を「卒業」しない限り、永遠に与える人と受け取る人の構図は変わらないまま。巣立って行かないからこそ、相互の依存関係から抜け出ることもない。

家庭内における男性の存在意義とは何かについて、口幅ったくも他所のご家庭に立ち入って尋ねたわたしは、どこか自己防御の本能からそう言ってみたかったのだろう。女はいったい何を欲望して生きているのか、という自問。自分が尽くしたいからやっているだけなのか。自らの本音がどこにあるのかを訝しく思いつつ、物事を看ているからこそ、男というものは一体に女の献身をどう解釈し受け取っているのかが聞きたかった。

とはいえ、男の答え方にも様々あろうし、「オレに惚れたから」は流石に言い過ぎでも、「家族ってそういうもんだろう」とざっくりと寄り切るような見解辺りがどうも定説になりそうである。その内心はこうかもしれない。「お前がオレを選んだんだから最後まで面倒を看ろよ」。そこで、女の言い分としては、「だったら私の言うことを聞いてよ」になるわけだが、管見(かんけん)の限り、こういうことを言う男が女の言うことを素直に聞いたためしはあまりない。



これまで、わたしは与えるという行為自体にあまり疑問を抱いたことがなかった。自分で進んでしていることでもあり、能力のある人間がより多くの負荷を担うことは寧ろ当たり前だと思っていた。今でも、少なからずそう思っている。けれども、もしつれあいが「他者」でないのならば、わたしがやっていることは、その一心同体の生物の手足の部分ということになってしまう。手がその身体が纏(まと)う衣服を洗い、自分の口に食べさせ、足が歩いて身体の休む場所を掃除する。手を怪我した時、頭や口はその痛みに対してわざわざ手に詫びはしない。そういうことだ。だとすれば女は服の縁取(ヘムライン)にすぎない。

いくら何でもそれは無理だろう、と思った。自分の自由な選択の結果としての献身、その前提がいつのまにか損なわれていることに気づいたのだった。悪気はなく、単に深く考えていないのかもしれない。そういう風に物事を見ていない、ただそれだけなのである。男に対して「母親」をやるべきではない、というのはよく指摘されることだが、自戒の念を込めていえば、やはりその通りである。過去の問題は措いてこれから先の生き方を考えた時、自立したひとり対ひとりの関係性として、友情や親子関係の再定義を図らなければいけないだろうとも思った。ちょうど娘もティーンエイジャーの仲間入りをしたのだから。

雁(かり)が飛んでいく光景を目にすることがあるだろう。その雁行の先頭を飛ぶ鳥は実は一羽ではなく、交代するのだという。先頭を飛ぶ際に失われるエネルギーがあまりに大きく、一羽では体力が到底持たないからだ。本来、家族もそのようで在らねばしんどいだろうと思う。個人の実感としては、家族の先頭を切り表に立ち、家の中でも働きながら皆を支えていたのはわたしだった。けれども、彼は彼でまた特殊な業界に偶然身を置き、別種のストレスに晒され、その消耗するエネルギーを恰も家族のために失っているかのように思い込んでいたのかもしれない。人間はいつも、大切なものを守ろうとして握り潰してしまう。その悲しみは深いものだろう。それを想うだけでわたしもまた悲しみに沈む。それでも、わたしはひとりで生きることを選ぶしかなかったのだった。

与えたい人であるというわたしの本質は変わらない。ただ、ひとりの人間で在りつづけるためには、男もまたいつかは自立させ、巣立たせなければならない。それは相手に母性からの自由を与えるということでもある。婚姻に纏(まつ)わる人びとの悩みは無数にある。離婚を選ぶ人もいれば別居婚を選ぶ人もいるだろうし、同居しながら少しずつ関係性を修正しようとする人もいるだろう。正解はない。人生の幸せの多くは取り立ててどうということのない部分にある。要は、どんな徒労をしたいかということに尽きるのである。

三浦氏の自宅の庭に咲いた小菊
三浦氏の自宅の庭に咲いた小菊本人提供写真

この記事はWEBザテレビジョン編集部が制作しています。

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三浦瑠麗
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。

X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura

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