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【連載】なぜ男女の揉め事は拗れるのか、三浦瑠麗氏が考察/「男と女のあいだ」#4 分かり合うことはできないのに

2024/09/11 18:00

過去を振り返れば、わたしはしばしば妥協を重ねることで、付き合っている男性の好ましくない言動を放置してきた。それは自己主張が苦手であるからではなくて、私的な諍いやトラブルがとにかく根っこから嫌いだからである。男女間の論争は、諍いが嫌いな人がひとまず折れることになりやすい。人によっては、譲ることによる損失よりも、諍い合うことの不快さの方が大きいからだ。それでも、わたしに我がないわけではないし、その人の許(もと)を去らないというわけでもない。
相手に自分の失望を真(まこと)のかたちで伝えるというのは、どこか愛を伝えることに似ている。落胆した、というのはいわば期待の羽根で覆われた翼が捥(も)がれた状態だ。それが捥がれた痛みを必死に伝えようとする仕草は、自分ひとりでその痛みを抱えきれず、相手に救済を求める呻きなのだといってもいい。愛のかけらがまだ残っているとき、女は男に失望を伝えようとする。様々な女の例を見る限り、それが応えられないでいる場合には、いつしか憎しみに変わっていくこともありうるだろう。そうなる前に、男女はきちんとコミュニケーションを図るべきである。

本当のコミュニケーションは、相手が何を望んでおり、自分自身が何を望んでいるかを悟るところから始まる。あとから拵(こしら)えられて現実問題に落とし込んだ目的ではなく、その基となる望みを自らが理解することで、相手に対する伝え方も一段と深くなる。だが、望みは何ですか、そう聞かれて咄嗟に忌憚なく本心を答えられる人は少ないのではないか。さらに言えば、わたしたちは自らの望みを知覚できているのだろうか。

女は一体何を求めているのだろう。女が目の前の男に要求するものは、たいていちょっとした気遣いや感謝の言葉、相手の立場に立った慎み深い配慮といったものでしかない。だが、わたしたちがそういう素質をまるで持たない男にも惹かれていってしまうのは確かで、そうしてみると、女は常にないものねだりをしているに等しい。口にすることと、心奥にとどめられた本音とが食い違い、異なる種類の欲望が嚙み合わないままにこじれては、腹の底に溜まっていく。恋愛が終わってみれば、なぜこの人をこれだけ長く好きだったのか、答えられない女は多い。男がもっと思いやり深く変わればいい。それはその通りだろう。しかし、なぜその人を選んだのかについて問われると答えに詰る。

あるいは、わたしたち自身さえも知らない衝動がどこかに潜んでいるのかもしれない。文明という衣を纏うことで、測り難い自らの真意を敢えて突き止めないでおく。丁寧に折られたナプキンやテーブルクロスのアイロンの折り目がわたしたちの共犯者となる。肌なじみの良いクリームが素肌を守るように、女は保身をする。わたしたちは多かれ少なかれ人生の演技者である。だから冒頭書いたように、女は不可解であるという主張は正しいのかもしれない。誰を好きになるかというのは、論理的に説明できるものではないからだ。

男と女は分かり合えない。感情をぶつけ合い、それでも求め合い、相手を傷つけてまでも自らの痛みを曝け出すような関係性を続けるには体力がいる。自分の心にしっかと囲いをし、分かり合えないことを諦めて日々を送る方がよほど楽である。それなのに、余程心は無防備であるとみえる。望みが、希望が人びとを奮い立たせ、再び立ち上がって人生を送ろうと唆(そそのか)す。



わたしは、恋愛に生きる意味を求めることが出来なかった。その代わり、与えつづけることを選んだ。一見、無償の愛のように見えるもの。それは通り過ぎていく愛である。雨のようにただ降って、砂地に染み込む。通り過ぎていく愛だからこそ再生できるのだともいえる。それは、どんな目に遭っても恨みを持たないで生きようとしたからだった。それでもなお、こだわりを捨て去ることはできない。こだわりを捨てるときは心を失くす時だからだろう。そんなふうにして、まだ生きることにこだわりつづけている自分を観ている。

これまで幾度かの恋愛で破局を経験してきた。理由のない破局などないが、多くの場合は良き友人となった。それはわたしの狡さでもあるのだろう。赦す、というのはある意味においては自分や相手に嘘をつくことである。相手に赦されているわたしもまた嘘をつかれているのだろう。赦すというのは距離を置くこと。男性は何を望んでわたしのところにいたのだろう、とふと思う。それは案外、何も求められないこと、それでもわたしに愛され続けていること、というようなことだったのかもしれない。それを男の愛と呼ぶのなら愛なのかもしれない。

ある時のことを懐かしく思い起こす。朝目覚めて、瞬間にその人を愛していると思った。けれどもまだ気怠い眠気の中、夢と現実の狭間に揺蕩っている寝顔を見て言葉は無駄であると悟った。愛しているという言葉はまるで望みの化石のようだ。愛を求める仕草が却ってその愛を台無しにしたりする。だから、その人が朝早く海に出る前にもう一度その腕の中で眠りにつくことの方を選んだのだった。愛を捉まえ、留めおくことはできない。その行方すら、明日は知れない。人は心変わりをし、死に逝き、そして還らない。それなのに、懲りもせず人は愛する。そうやって深い谷を刻んでゆく。

【写真】カナダ滞在中に訪れたパシフィックノースウェストの海岸
【写真】カナダ滞在中に訪れたパシフィックノースウェストの海岸本人提供写真

この記事はWEBザテレビジョン編集部が制作しています。

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三浦瑠麗
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。

X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura

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