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【連載】期待をしなければ孤独ではなくなるのか/三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」#6 共感の危うさ

2024/10/09 18:00

元夫の面倒を看て、彼を甘やかしながらその実はどこか倚りかかって生きてきたことに、子どもをかけがえのない掌中の珠として慈しみながら、実は初めからひとりであったことに、半ば目を瞑っていたのは、わたし自身だったのかもしれない。我欲を戒め、エゴイストにならないように努力することは比較的容易にできる。だが、本当に難しいのは人に倚りかからずに生きるということだ。
世の中には誰かの助けを必要としている人、倚りかかることを必要としている人がたくさんいる。人間らしいあり方として、友が、伴侶が必要としている手を差し伸べ、肩を貸すことは大切だと思う。ただ積極的に手を差し伸べることだけがよいことだというわけではない。少しでも楽にしてあげたいと思えば、単に時々そこにいて、自分も好きなこと、普通のことを一緒にするだけでよいのである。

家族をはじめ相手が満足する基準によってではなく、己の基準によって生きていく。そうした姿勢になったことで、はじめ献身だと思っていた愛するということの意味をもう一段深く知ったような気がする。
倚りかからないというのは、自己を開示しないということではない。痛みや悲しみを曝け出しても、誰かの前で泣いても構わない。人格者として振舞うのを止め、自分自身の基準で生きていくということだ。人格者というのは他者からの評価であり、またその過程で他者を巻き込む。自と他の間に一線を引き、倚りかからずに相手の幸せを願い、その笑顔を見たいと思う。愉しい時間を過ごす。そうした友愛の情こそが人間にとってはもっとも惜しみないものだということである。



誤解を生じないようにするために付言しておくと、倚りかからないというのは、「何も求めない」ということではない。むしろ率直に、素直に求めるということである。むろん、求めがすべて応えられることはない。だが、望みをきちんと言葉にすることで、相手が自分とは異質な存在であり、異なる思念があることを理解する。それが夫婦間やカップル間で成立しつづけるのは難しいことだと思う。
機能的で実用的な物事が多く関与する「結婚」という概念や社会慣習を抜け出ることで、はじめて人間として向き合うことができるというのは皮肉なことかもしれない。人は、友には本質的な友情を期待するが、表層的なことは大して期待しない。その一方で、男女は実に様々なことを相手に期待するのである。そして、期待が外れると痛みが生じる。痛みは、男女が二人で対になっているという概念から発している。恋愛や性については、男女ともに一方的な願望や期待が投影されたかたちで、巨大な幻想が広まってしまっているが、それもこの対による完全さが期待されるがゆえである。男女はまるで異なる存在なのに、あるいはだからこそ、対になりたい、対であるべきだという思いがわたしたちを侵食する。そしてお互いを共振させ、同化させようとする。

だが、男が女の痛みを感じられるだろうか。期待への度重なる裏切りが平静な心をゆっくりと蝕んでいく痛み、自分ではない何かに擬態させられた苦しみ、肉体の存在をこの場で終わらせたいと思うような憤(いきどお)ろしい痛みを感じられるだろうか。同時に、女が男の痛みを感じられるだろうか。高い自尊心と依存心の同居からくる苦しみ、愛する女を自分のものとしたいという侵襲的な衝動、その人が傷つけられた時の、まるで自分の持ち物が傷つけられたかのような皮膚感覚の延長線上としての痛み。相手が求めているものを与えられないという罪悪感と傷つき。少なくとも、わたしには到底男の痛みを自分のものとして感じることはできない。だから、共振するのではなく理解しあうものとして、男女は交信すべきなのである。カップルとなった二人だけが完全に分かり合い、通じあう「一心同体」の状態が仮に成立したとすれば、それは単に他者を排除した合体でしかない。己を自己複製したようなものである。
本当は、自己複製のような形でもなければ惰性でもない、それでいて仲間であるという感覚を持てるような人間関係が最上のものなのだと思う。初めから「ひとりではない」と誤認させるのではなく、一本の線を引いた上で共感を及ぼすということ。それでこそ相手の思いやりにひとつひとつ感謝する瞬間も生じるだろう。

人が恋愛によって覚える痛みというのは、両者が別人格だからこそ生じることである。自は他ならず、他は自ではない。自分が求めるような言葉を他者はかけてくれないし、自分が求めるようには相手は振舞わない。自分がこういう存在だと思ってほしいと願っているようには相手は自分のことを思ってはくれないし、時には相手が自らを部分的に、機能的にしか必要としていないという事実が自我を傷つける。
どんなに近しい存在でも、両者が同じ場にいて同じものを目にしても、物事の解釈は本来人それぞれに異なる。だからこそ、交際の当初は相手が一体何を考えているのか不安を感じたりする。しかし、そのうちに結婚や長年の交際を経て不安が少なくなるにつれ、そして相手のことをより深く知りたいという気持ちも薄れるにつれ、会話の新鮮さは減り、共振のような同調や、あるいは時間を無為に過ごす機会が増えていく。
けれども、本当は人間というものはもっと奥深く、様々な面を持っているものだと思う。願わくは、一日一日、伴侶や友人に対して新たな発見をすることのできる姿勢を保ちたいものだ。

わたしはひとり、と書いたが、孤独がそれほどよいものであるとは思わない。わたしたちは孤独になるのではなく、寧ろ初めから孤独であるのだ。それにどう向き合うのかというところから、生きることの意味を思念し始める。人間の願望を掘り下げれば、いずれも最後は地に深く根を張った不安に辿り着く。わたしたちの悩みは、詮ずれば、生きることによる不安をどこまで深く感じ取り、それとどう付き合っていくのかということでしかないからである。そして、そのためにより良い人間関係を模索するのだ。

都内での散歩中に見かけたアガパンサスの花
都内での散歩中に見かけたアガパンサスの花本人提供写真

この記事はWEBザテレビジョン編集部が制作しています。

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三浦瑠麗
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。

X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura

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