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【連載】トラウマを忘れる方法はあるのか/三浦瑠麗氏連載「男と女のあいだ」#7 トラウマを理解する

2024/10/23 18:00


恥とともに生きるすべは、何よりも怒りを克服することである。レイプは「魂の殺人」であるという表現を近頃よく聞くようになった。裁判官などの第三者に対して、外見に顕れにくい被害を克明に伝えるための言葉としてはおそらく適していようし、被害者自身がそれを言うのは至極正当である。ただ、魂に死刑宣告を下すのは己であって、他者ではない。それこそ、蝶々さんの例で言えば、彼女はピンカートンを愛し信じた自らの魂が死んだので、それを認め肉体もついでに葬り去ったのである。何が主体であり客体であるのかを間違ってはいけない。仮にも、他人が「あなたの魂は一度殺されたと思うのだが」などと言ってはならないのは、そういう理由からだ。
憎しみと暴力、信頼と欲望の狭間に生まれた悲劇について、わたしの経験より深刻に見える事例はほかにいくらでもある。「ロッコとその兄弟」で描かれたごく身近な者による暴力(邦題は「若者のすべて」)、身寄りを失った“未亡人”を街中の人々が虐げる「マレーナ」、塾講師が教え子を搾取しつづけ、ついには正気を失わせる『房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園』。いずれもどこかに実話があったからこそ描かれた物語だろう。

なぜ死ななかったのかという問いに戻るとすると、命を惜しんだというだけではない。幼い頃から、激しい怒りを鎮める方法をどこかに持っていたからだ。自我が強くあればあるほど、そこから生じる恥の概念に伴う怒りを鎮める方法を身に着けなければ生きてゆかれない。それだから、きっと壊れにくいのだろう。恥という感情と付き合いながらも、それを克服していくことが回復の道だった。
もちろん、一般的に見れば、正当な怒りを周囲に向けて発散することによってトラウマが「治る」人の方が圧倒的に多いのだろうと思う。コンゴ内戦において膨大な性暴力の被害者を無償で治療し続け、ノーベル平和賞を受賞した医師、デニ・ムクウェゲさんという方がいる。彼が来日し、大学で講演してくれた時の話は大変貴重なものだった。その中で、加害者にきちんと裁きを下すことは、被害者にとって自尊感情を取り戻す重要なプロセスに位置づけられると述べておられた。傷ついているのは肉体だけではないからである。卓見だと思う。コンゴの場合は、内戦の武器としてレイプという手段が用いられた事実をきちんと社会的に認知する必要があった。彼女たちは私的な暴力の犠牲者ではない。性被害が軽視され、またそれにまつわるスティグマが存在する人間社会において、ムクウェゲ医師の述べているように、彼女たちを内戦の犠牲者としてカウントすべきだという観点は見落としてはならない。

ただ、性被害といってもその性質は様々であり、その時々で必要な癒しの性質は異なる。だから、報復による失われた正義の回復に思念を注ぐことが長く暗いトンネルの出口であるとは限らない。わたしが折々に感じてきたそういうことを、まるでなぞってくれたかのように感じた映画が数年前に上映された。人間の暴力と恥、赦しをテーマにして深く掘り下げた、イランのアスガー・ファルハディ監督の映画「セールスマン」である。本作は、2017年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したが、監督も主演女優も、特定国からの入国を停止するトランプ大統領令に抗して授賞式典に出席せず、それも話題となった。
舞台「セールスマンの死」の初日を終え、ひとり先に帰宅した妻は性犯罪に遭う。プライベートな空間であるはずの自宅で恐ろしい目に合った彼女は持ち前の明るさを失い、暗い顔で塞ぎ込み、怯えて生きるようになる。反面、夫は怒りをため込み、妻の気持ちを置き去りにしたまま復讐心を膨れ上がらせていく。他方で罪を犯した老人とその妻も登場するが、その妻は原理原則抜きに夫のしたことを無条件に赦してしまう。急速に発展するテヘランの街を舞台に、こうした二つの夫婦の在り方を描くことで監督は様々なことを同時に表現しようとした。

主演女優を務めたタラネ・アリドゥスティさんとは、来日した際にトークショーで対談させてもらったのだが、そのときに彼女が話した内容が今でも心に残っている。確かにこの映画は現代イラン社会を描いているが、男と女、そして性被害をめぐるテーマをイラン特有の問題として理解すべきではない、とタラネさんは言ったのだった。彼女はドイツで育った時期があるから、西洋の社会のこともよく知っている。そう、確かに彼女は正しかった。これはイラン社会だけの問題ではない。恥の概念は世界中にあり、性暴力に傷ついた人をかえって恥じる文化は国境をまたいで存在する。
ちなみにタラネさんは、スカーフをきちんとしていなかったという理由で若い女性が殺された事件に表立って抗議をしたため、2022年末から翌年の初めにかけて、イランの監獄に収監されていた。イラン社会において自己の存在が持つ意味合いを十分に理解した上で、ふだんは芸術に身を捧げ、政治的には抑制的でありながらいざというときには怯まない。本当に勇気のある女性というのはこういう人であると思う。イランはイランでまた別個の問題を抱えているが、彼女はそこから目を背けてはいない。

作中の夫が、ほんとうに妻のことを思いやって憤っているのであれば、復讐にすべての情熱を傾けることはなかっただろう。美しい大切な妻が暴漢に襲われて、傷ついたのは彼自身だったのである。しかし、その夫の心のありようを断罪することがファルハディ監督の目的ではない。何であるべきか以前の問題として、夫が恥じ、傷つくことで夫婦がすれ違っている姿をしっかりと描ききることが大切なのだ。「分かる」ということは、傷ついた精神に対する癒しとなりうる。分かるというのは受け容れることでは必ずしもなくて、愚かしく美しく複雑である人間存在を理解するということである。そして、本作品は加害者やそれを取り巻く者の心理まで描き、その後の結末を観客に見せることでさらに深みを増している。
わたしはおそらく、なぜ人間が暴力的であるのかをまず理解したかったのだろう。そして、なぜ善と悪を併せ持つのかも。だから、人間の観察に一生をかけているのかもしれない。好きで入っていった自然環境保護の問題から離れて、戦争をアカデミアでの研究テーマに取り上げたのは、ひとつにはそれが影響していると言えなくもないのかもしれない。



過去に暴力に直面したことがあるゆえに、わたしは暴力の貌(かお)を少なくとも一部は知っている。だから、他の種類の暴力や支配欲に対しても敏感である。2006年にアカデミー賞を受賞したポール・ハギス監督の「クラッシュ」という映画がある。この作品は大都市ロサンゼルスを舞台にしており、人種間の分断、人間同士の憎しみ、そして危機的状況における人と人との瞬間的な繋がりと共感を描いた映画史に残る傑作だ。この映画を観たとき、暴力的な人間のぶつかり合いの激しさと刹那にほとばしる共感の熱量に当てられて、しばらく席を立てなかった。
それから10年余りの時が経ち、ハギス監督は複数の性的関係強要事件で巨額の賠償命令の判決が下されるなどして映画界での支持を失った。彼は同意があったと主張しているから、それはここに記しておかねばならない。映画の偉大さや、監督の才能、そこにかけられた真摯な思いが存在しなくなるわけでもない。監督が表現したかった刹那的な共感もきっと本物だろう。ただ、逆に暴力的な感情を己のものとして知る人だからこそ、このような映画が撮れたのかもしれない、とそのニュースに接した時に思ったのだった。

先日のバカンスで訪れた、コモ湖の畔でのランチの様子
先日のバカンスで訪れた、コモ湖の畔でのランチの様子本人提供写真


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三浦瑠麗
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。

X(旧Twitter):https://x.com/lullymiura
Instagram:https://www.instagram.com/lullymiura

三浦瑠麗エッセイ連載「男と女のあいだ」

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