国際政治学者やコメンテーター、そしてエッセイストとしても幅広く活躍する三浦瑠麗氏によるエッセイ「男と女のあいだ」。夫と友人に戻り、「夫婦」について改めて思いをめぐらせるようになったご自身のプライベートや仕事、過去を下敷きに「夫婦」を紐解いてゆきます。連載第8回は、女性が自立しようとすると遭遇する困難の数々を、ご自身の体験談とともにお届けします。
#8 女の自立
今から20年以上も前のことだった。まだ若かったわたしは、結婚後初めてアメリカの親戚に紹介されることになり渡米した。そのときの心細さと文化的な違和感は、いまだ鮮明に記憶している。異なるファミリーに嫁(か)すことは、国境を跨がずとも緊張感を伴う。ましてやわたしはそれまで海外で留学したこともなかった。
春が早く訪れるアメリカ南部の川べりに立つ一軒家をバケーションレンタルして、三世代の大家族で集まった。青と白を基調とした室内は軽やかで、ところどころに大きな白い貝殻が飾ってあった。居間に続くベランダはそこからほどなく大西洋に注ぎ込む大きな河口に近い緩やかな流れに面しており、ボートを出すための桟橋が近くにある。この地方は古くから煙草の一大産地ということもあり、大人の女たちはウエストを締め付けない軽い服装をして皆屋根付きのベランダに座り、日がな一日煙草を燻らせていた。揃って銘々の出身大学のパーカーにジーンズを着た若者たちは、引いた単語をジェスチャーで当てさせるカードゲームに興じていた。わたしはもくもくとした煙草の煙を避けて屋内にいたのだが、英語の聞き取りにまだ不自由していたため所在がなくて、ほんのちいさな子どもたちとかくれんぼをして遊んだ。
かくれんぼはじきに隠れ場所を失い、そのうち鬼ごっこに転じた。追いかけると子どもたちは一斉に叫んで逃げる。捕まったらくすぐられるのが怖くてスリルがあるのだろう。もういまでは当時の面影を残さずに大きくなってしまった3歳の男の子は、大家族の集まりにはしゃいでいたせいもあり、息を切らしてクローゼットに駆け込み、捕まらないよう折戸をバタンと閉めて壊しそうになる。あまり興奮させないで、うるさいから、と母親である義理の従姉に窘(たしな)められたのはわたしだった。大人の仲間にも入りきれず、子どもとこうして一緒に遊ぶのはわたしの年齢にふさわしくないのだということを知って、わたしは悄然(しょうぜん)として読書に帰った。分厚いサミュエル・P・ハンチントンの『The Soldier and the State(軍人と国家)』を読み通したのは、他にすることもないこの春休みのお蔭だった。
旅先でもしわになりにくいということで持っていったウールのジャケットとワンピースを着ていたわたしは、アジア人のしかも女ということもあって、はじめ物珍しげにされた。彼らがじかに知っている日本人は、男性かそれとも言葉の通じない背丈のちいさな高齢女性ばかりだったから。家族でリゾートに来ているのにカントリーハウスにでもいるような窮屈な恰好をしているというのは、よほど「解放」されていない女性に違いない、と感じたのかもしれない。就寝前に部屋着として着るために持っていった黒い絹のガウンの印象がそれに拍車をかけた。あなた日頃からそんなのを着るの? 呆れた声音が隠し切れないコメントはひとりの女性の正直な感想で、わたしは夜のあいだは部屋に籠って居間へ出ていかなかった。
それは、ある種の後ろめたさだったかもしれない。女たちの連帯に加わっていない自分への。煙草の仲間にも加われず、髪をラフに束ねたパーカー姿でソファの上に胡坐を組むこともできない。もっとアメリカンに、陽気でさばさばした女性像を演じるべきだったのだろう。だが、己を欺くことはやはり難しい。結局、わたしはこの20年間というものアメリカ化することはなく、異国の女性のままだった。そして、そういうものとして皆に受け容れられていった。
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結婚は一回しかしたことがないから、他所の事例は分からない。ただ、今となっては異文化や異言語は物事を相対的により難しくした一つの要素にしか過ぎないことが分かる。若い女性であるということが、わたしにとって一番の困難だった。
男性は、良くも悪くも放っておかれる。学校でクールに見られたいとか、女の子にもてたいとか、スクールカースト的な立ち位置であるとか、そういう難しい物事と男性が無縁なわけではない。それはそれで熾烈な競争と緊密な人間関係の構築を要する。若い男性がまず直面する問題は、集団における仲間作りと、権力構造にどう従うか(あるいは上に抗うか)という自身の存立をかけた課題だろう。
女性は男性ほど熾烈な権力構造がない代わり、どのような相手であるかを問わず、常に見られていることを意識している。どう見られているかを自ら積極的に探り出し、それを素早く内面化しようとする。女性の多くが男性よりも物事を察知する能力が高いのは当然だろう。物心ついたころから一生かけてそれをやってきているのだから。説得の技法には、前にも述べた共感が関わっているが、女性はそれを駆使して幼少期から周りの説得に努める。彼女たちなりに許された影響力を確保するために。
母性や女性論についての古典的エッセイを書いたアメリカの詩人、アドリエンヌ・リッチは、あの知性溢れるヴァージニア・ウルフの口調にさえ、どこか苦心している感じ、躊躇いが滲んでいると指摘する。それはアドリエンヌ自身の感じている躊躇いでもあった。努めて平静で、距離を置いたものの言い方をすることで、男たちに受容されたい、魅力的にさえ見えたいと思っているヴァージニアの心性を、アドリエンヌは共感とともに指摘する。
次の一文がまさに本質を衝いているだろう。「ヴァージニア・ウルフは女ばかりの聴衆に語っている。でも彼女が痛いほどに意識しているのは――つねにそうだったが――、男たちにも話が聞こえてしまうことだ」。
知を解さない人や敵対的な人びとではなくて、むしろ朋友(ほうゆう)であり、師であり、親しい家族や恋人であるような、そんな男性たちこそ、女性に大きな影響を与える。彼らは当然に、自分たちは評価を下す側であると思い込んでいる。女性は他者の眼差しを意識するが、その両者の関係は相互主義ではない。絶え間なく評価を下しつつ、それでいて自らは一歩も動こうとせず、己の言語表現に置き換えてしか相手の言葉を咀嚼できない他者の眼差しに晒され続けることで、ヴァージニアの言葉は磨かれた。彼女の文学は、そのような自己研鑽を経ていない多くの人には到底追いつけない客観性の高みにあったのだが、だとしても、本当に彼女の苦しみは必要だったのだろうか。それをいま、わたしはどちらとも言えず分からないでいる。
はたして男が、「自分が話していると女にも聞こえてしまう」ということに悩んできただろうか。つい最近まで、そのようなことは起きなかった。いま社会の要職にある高齢の男性は、懸命に「自分の言葉が女たちにも聞こえてしまう」問題に対処させられている。しかし、男たちは自らを客観視することや客体となることに慣れていない。そのため、まずは話に前置きを置くことを覚えた。「このようなことを言うと炎上するかもしれませんが」「不適切と言われるかもしれませんが」――ではなぜ言うのだろう。それに少しくおかしみを覚えつつも、わたしは彼らの心理を頭では理解する。自分こそが主体であるという感覚、その立場を抜け出られないのだ。
だが、当然ながらそのような前置きの適応レベルでは到底足りることはなく、失言報道に続く反省とパージ(追放)とが社会では繰り返されている。世代交代が瞬時に起きて人口がそっくり入れ替わってしまうなどということが起こらない限り、この「見せしめ」は続くだろう。こうした風潮を歓迎する気持ちが女の側にあることはよく分かる。ただ、これまで極端な表現においては「女は存在しない」と言われ、客体であり、また主体であることを否定されてきた女が、男も客体となることを強要するのに情熱を傾けるというのは、報復的な怒りの感情を措(お)くとすれば一体何なのだろうか。
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。
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三浦瑠麗エッセイ連載「男と女のあいだ」