アニメ「チ。-地球の運動について―」(毎週土曜深夜11:45-0:10、NHK総合/Netflix・ABEMAで配信)の第5話「私が死んでもこの世界は続く」が10月26日に放送された。本作は魚豊による同名漫画を原作としたアニメ作品。地動説の可能性を信じ、証明することに自らの信念と命を懸けた者たちの物語が描かれていく。第5話では再び命を賭した意思の継承が行われ、フベルト、ラファウの研究資料はグラス(CV.白石稔)とオクジー(CV.小西克幸)の手へ。そして外れ者の修道士、バデーニ(CV.中村悠一)へと渡るまでが描かれた。(以降、ネタバレが含まれます)
意思の継承を担い、石箱にたどり着いたオクジーとグラス
前回第4話から始まった第2章では、ラファウに代わり、オクジーとグラスという2人の代闘士が物語を引き継いだ。
この世に希望を持てないオクジーと、この世に希望を持とうとするグラス。グラスは移送任務の対象となった異端者の言葉に心を動かされ、異端者を解放する。自分の渇望のために動いたのはグラスであり、敬虔(というより信じなければ天国にいけないという恐怖心からだが)なオクジーは異端の言葉に動揺しながらも、巻き込まれただけである。しかし、移送を監視していた異端審問官ノヴァク(CV.津田健次郎)の白刃から異端者が身を挺して助けたことで、オクジーの心は大きく揺らされた。
「なんで!?」と驚くオクジーに、異端者は「歴史が君を必要としたからだ。頼む」と手を差し出して絶命する。そこでオクジーに渡されたのは、フベルト、ラファウと渡ってきたオリオンのベルトを刻んだあのネックレスだった。
本作の“継承”の象徴にもなっているこのペンダントは地動説の立証に関わる探求者の手に渡ってきたものだ。しかし、今回の2人は天文学に明るくはない。グラスは火星軌道を観測していたのみで、オクジーにいたってはおそらく天文学などどうでもいいことだろう。そんな2人が担ったのは“知の継承”というより、“意思の継承”だ。石箱から見つけた異端の天文資料が人によっては価値あるものだと考えたグラスは、これを思想上の禁忌で左遷された修道士バデーニに届けることを決める。
一方オクジーは、異端者が遺した手紙にあった、「もしこの発見のせいで私が死んだとしても、この発見のおかげで私は幸福な命だったと断言できる」という一文に再び心を揺らされる。この世に幸福などないと、現世に生きていることに絶望しか持っていなかったオクジーにとって、幸福な死というのは衝撃だったに違いない。
歴史に必要とされたのはオクジー
「私が死んでもこの世界は続く」と、タイトルから示唆されていた今話の継承。天文学に近いのはグラスの方であったが、異端者が告げたように、歴史が必要としたのはオクジーの方だった。橋の崩落に巻き込まれたグラスは天文研究の本とネックレスをオクジーに託し、そのまま川の濁流に飲まれ消えていく。グラスもまた託す者だったのだ。
地動説に近付く1人と思われたグラスのこうした形での退場劇は意外であり寂しくもあり、それだけにここから気になるのは、オクジーがどう変化するかだ。主体性がなく、教会が教える天国にだけすがり、知識も希望も持っていなかったオクジーだが、グラスの死を受けて、バデーニのもとに着いたときには明らかに目つきが変わっていた。グラスが示した「全部無視してこの世に期待することだ」という選択肢、「本当はまだ死を恐れている」という心の根を突いた言葉は彼にどう響いたのだろう。
地動説という新しい世界の肯定に、ラファウは“感動”を受け取り、名もなき異端者は“幸福”を受け取り、グラスはたどり着くことこそ叶わなかったが、この世は喪失だけではないと信じた。その流れは、命は消えても意思は消えないことを示している。バデーニにつないだオクジーも託す者となるのか、それとも自らの意思で希望への行動を起こすのか。
放送後のSNSでは、「喪失で溢れるこの世界、我々が死んでも続く、だから次に何かを託す。それが希望である」「2人のある意味狂った強い意思のあるものでなく、オクジーに『チ。』の意思が託されるのが面白い」「天文を知らないオクジーだが良い“目”を持っている。その目で好きだった空をもう一度見上げてほしい」など、深みを増す物語に惹かれた視聴者のコメントが続々と上がる。
冒頭の夜闇のシーンについても「めっちゃ暗いのは星空の明るさとの対比といえなくもないですし、2人の迷いの現れだったのかもしれません」「暗すぎる夜は地上は汚れてる発言に囚われて空を見る事ができないオクジーの心そのものなんだろう」「画面が暗すぎたので部屋の電気消してみたらちょうど良い感じで星も綺麗に見えた」「夜のシーンがあまりに暗くて閉口したわけですが、これは“オクジーが直視できない圧倒的な満天の星”を演出するには必然的な明暗のコントラストなんですよね。星はどこまでも明るく真実である一方、人の“知”はまだまだ暗いのだ」など、演出意図を読む視聴者が数多くいた。
◆文=鈴木康道