「結婚」に求めすぎていないか
人は恋愛を夢想しがちである。若者は、きわめて安直に手近なところでときめこうとするし、大人たちも例外であるとは言えない。富岡多惠子は松本清張の小説『波の塔』を解題する「恋愛という犯人」という小品で、「世に青春といわれるころの、人間の若い恋愛は、だいたい発情であるから、そこにコトバはない。そこであらわれてくるコトバは発情のいいわけか叫び声である」とし、「恋愛は、どちらにしても、精神と肉体の発情であり、ただ若い恋愛には肉体の発情が先行するだけである」と述べている。慧眼(けいがん)ではある。だが、彼女のいう恋愛の定義に従えば、恋愛結婚などというものは継続しえない、あるいはそもそも形容矛盾になってしまう。結婚こそが恋愛の終わりなのだから。
否定できない事実は、多くの人が生殖以外の何か“も”同時に求めているということだ。富岡のように、それは肉体や精神の発情でありすなわちエロスであると喝破してもよい。けれども、キリスト教圏の影響か、日本の結婚にもしだいに母として主婦としての役割以外の、男女の一対一の精神的な結びつきを重んじる考え方が移入され、浸透してきている。そこでは、性愛と精神的かつ物質的な結びつきである結婚が合一すべきだということが、まさにキリスト教と実用主義を合体させた信念として固く信じられているのである。
その観点からは、性の欲求が起こる脳内のメカニズムを自ら理解してしっかりと制御し、それを夫婦に当てはめて「愛による結婚」の中で各々の役割を健全に演じなければならない。性愛さえも鋳型にはめられてゆくのは、あまり古来の日本的な考えとはいえないのだが。そして、その風潮が女性の側の利益を叶えるものだともさほど思われない。
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理想としては、やはり多くの人が、唯一無二の存在として愛されたいと思っている。世界の中心で二人だけが向き合った関係において本当に不安が解消されるならば、それに越したことはない。けれども、そんな関係を手にするのは決して容易いことではないし、既に述べてきたとおりそれは自己複製にすぎないのかもしれない。そのような幻想に満ちた結婚の上に「正しい性愛」まで荷として乗せることは、まるで破綻してくれと言っているに等しい。
すべての観点において望ましい相手と結婚できるとは限らない。一方が満たされているが、もう一方の犠牲と沈黙ゆえに成り立っている婚姻もあろうし、途中からそんなすべてを相手に期待することを止めてしまった夫婦関係もあろう。結婚では満たされない恋愛をずっとどこかに追い求める人も少なからずいる。
不倫や浮気は、そうした愛を手にできていない人のための第二市場なので、たいへんに混雑する。多くの人は完全に満たされてはいないからである。「理想の愛」を手にできない悲しみは深い。しかし、それによって自らの人生を破綻させるのも怖い。その一歩手前で、孤独な人々は互いに歩み寄り、自らの不安を交換し合うのである。
代替物が横溢(おういつ)するのは、それが代替するまるで神話のような「愛」が求められているからだろう。「愛」は言い訳の言葉としても成り立つ。人々がつれあいの不実に厳しく、己の不倫に甘いのは、それが恋愛であるという真っ当な言い訳が存在するからだ。夫は妻に、許しがたい結婚からの逸脱である性愛の片鱗を見る。妻でも母でもなく、女である存在に夫たちは厳しい。妻は、つれあいの中に我が夫、子らの父として相応しくない暗い欲望を見、あるいは張り巡らされた女の誘いにまんまと釣られていく馬鹿さ加減を思う。だが、己の姿がどうであるのかについては、常に二重基準が適用されるのである。
人々は芸能人の不倫報道などを見るたびに反応し、声高にそれを評論しあう。声高な人々が求めているのは正義の鉄槌が下ることで、それは愛への渇望がまた公に否定されたのをみて、自分もまた傷つき痛みを覚えているからである。
地上であまねく愛が信じられていれば、不倫の報道を見ても人々はぽかんとするだけだろう。男女二人の真の愛が信じがたく、またそれが渇望されているからこそ、会ったこともない人の不倫に傷つく。
浮気が起きる理由を説明するのは難しいことではない。それよりも愛を説明する方がよほど難易度の高いことだから、わたしたちは愛を先に理解しなければならないのである。
1980年、神奈川県茅ヶ崎生まれ。山猫総合研究所代表。東京大学農学部卒業後、同公共政策大学院及び同大学院法学政治学研究科修了。博士(法学)。東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て現職。主著に『シビリアンの戦争』『21世紀の戦争と平和』『孤独の意味も、女であることの味わいも』などがある。2017(平成29)年、正論新風賞受賞。
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三浦瑠麗エッセイ連載「男と女のあいだ」