コミックの映像化や、ドラマのコミカライズなどが多い今、エンタメ好きとしてチェックしておきたいホットなマンガ情報をお届けする「ザテレビジョン マンガ部」。今回は、一つ目小僧との心温まる出会いを描いた作品『一つ目小僧はうれしかった。』をピックアップ。
作者のヒロ・コトブキさんが10月14日にXで同作を投稿。そのツイートには2000以上のいいねと共に、多くの反響コメントが寄せられた。この記事では、ヒロ・コトブキさんにインタビューを行い、創作のきっかけやこだわりについて語ってもらった。
缶ビールとハーモニカの音色が繋いだ2つの世界
酒に酔ったサラリーマンが千鳥足で橋を渡っていると、少し不思議なハーモニカの音色が聴こえてきた。見ると橋の下に、一つ目小僧が小さな音でハーモニカを吹いていた。
サラリーマンは怖さを感じず、むしろ「話してみたい」と思った。
次の瞬間、足を滑らせ転がり落ちてきたサラリーマンが「はじめまして。へへっ、こんな予定では…」と話しかけると、一つ目小僧は「僕が見えるの?」と少し怯えた様子で姿を消しそうになる。
サラリーマンが慌てて「えと…さきいか食べる?」と差し出すと、ひと一つ目小僧はくすりと笑うう。
「ご覧のとおり酔っ払いだあ。明日には君のことも忘れる。だから少し付き合って」とサラリーマン。こうして、ふたりの奇妙な会話がはじまった。
一つ目小僧が言うには、彼らの世界には大人と子供の区別も、時間の目盛りも存在しないらしい。時間や制限に縛られる毎日に疲れ果てていたサラリーマンは、一つ目小僧の「色々なものに目盛りをつけるの、面白いよね」という言葉で気付かされた。
区切りをつけて細かく刻まれなければ作り出せない、人間の生活や文化も悪くないのかもしれない、と。
橋のたもとにある大きな壁を借りた"ぬりかべ”によって、彼らの世界と人間界とを行き来できるらしい。サラリーマンが酔っぱらっていたこと、一つ目小僧がハーモニカを吹いていたことも、ふたつの世界がつながった理由かもしれない、と一つ目小僧は言った。
「そろそろ行かなきゃ。ぬりかべが寝ちゃうと起きるまで戻れないから」といって帰ろうとする一つ目小僧に、サラリーマンが「付き合ってもらえてうれしかった。たまに顔出してよ」と握手を求める。
「僕らはいつも開いているんだよ。それに残念だけど、僕たちと人とは触れ合うことができないんだ」一つ目小僧は、残念そうにサラリーマンの手に触れるが、なんと触れることができてしまった。
「あれ?え、あれ…ははは。何千年生きたって、初めての経験はあるもんだね」
そう言って一つ目小僧は、嬉しそうに笑ったのだった。
作品を読んだ読者からは、「なんだかとてもジーンとしました」「素敵な作品ありがとうございました」「哲学みたい。勉強になりました」「こういう漫画を見てたいのよ!」といった声が多数上がっていた。
生きづらさを愛おしく思って——作者が語る創作の背景
――『一つ目小僧はうれしかった。』を創作したきっかけや理由があればお教えください。
僕はいつも何も考えずにノートに一コマ目を描いて、それから「そうきたか!」とか「なるほど!」とか「ふむふむ」なんて言いながら進めていく描き方をしています。
「橋の…上を…酔っ払っている…サラリーマンが…歩いていたら…なにやら音が…これはなんだ?…ハーモニカか」みたいな感じで、読む人と同じような体温で次のコマを開いていくので、きっかけと呼べるモノはないのですが、後から考えてみると、ザ・クロマニヨンズというバンドの曲の歌詞に『ぬりかべにもたれ 一つ目小僧がうたた寝の時間』という一節があって、僕はそこの歌詞がかわいくて日常的にハミングしているので、僕と『一つ目小僧』や『ぬりかべ』の間につながりやすいトンネルのようなモノが出来ていたのだと思います。
――本作は、偶然出会った一つ目小僧と主人公との間に漂う心地よい雰囲気と、どこか哲学的な会話が印象的でした。本作を描くうえでこだわった点や、「ここを見てほしい」というポイントがあればお教えください。
説教にならないように断定的な言葉選びをしないことがひとつと、自己啓発本にただ挿絵がついただけ みたいにならないように、ふたり以外を映すコマを増やしました。
――本作の中で特に気に入っているシーンやセリフがあれば、理由と共にお教えください。
【たのしむところはたのしみながら、不便なところは工夫をしながら、恨むでもなく蔑むでもなく 人の作るものをやり過ごしている】という言葉が好きです。『地球の形を変えてどんどん便利にしていく人間』と、『地球の形を変えずに、そのなかでより良く生きる動植物』のおもしろい差が出ていると思います。
――作中で、人間界は区切ってばかりという表現が出てきますが、ヒロ・コトブキさん自身、時間や年齢など細かく刻まれる日々のなかで生きづらさを感じることはありましたか。
ほんとうは僕たちは上と下の間の、右と左の間の、子どもと大人の間の、黒と白の間の、幾千ものグラデーションのなかを生きているはずなのに、忙しさのなかにいるとついついそのことを忘れて誰かの心を(時には自分の心さえ)決定してしまうことがあります。その方が手っ取り早いし楽チンだから。ほんとうは毎日がはじめましてで、毎年が一年生なはずなのに、昨日会ったあの人も、今日会ったら何かが変わっているはずなのに、つい過去のデータから何かを算出して、決めつけで自分や他人の人生に接してしまいます。もちろん漫画内で語られている通り、それはネガティブな側面にフォーカスしただけの話で、人はその生きづらさと生きやすさの落とし所みたいなところを上手に見つけながら、泣いて笑って壊れずに生きています。僕はその生きづらさを愛おしく思っています。
――ヒロ・コトブキさんの今後の展望や目標をお教えください。
僕の心のなかに昔からある、わけの分からないモヤっとしたモノたちに、物語や言葉の力を借りて輪郭を与えていきたいです。そしてそういった作業だけで生活していけるようになれたら跳び上がるほどうれしいです。
――最後に、作品を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。
いつもいつも本当にありがとうございます。
読んでもらった瞬間に僕の落書きは作品に変わります。
これからもそばにおいてやってください。