
黒澤明、溝口健二と並ぶ「日本映画の三大巨匠」の1人である小津安二郎は、その独自のスタイルでいまなお世界中の映画作家に影響を与え続けている。低いカメラ位置、カットバックを排した編集、そして抑制された演技。起伏に乏しいように見える静謐な画面の奥には、家族の絆、人生の無常、そして時代の移り変わりといった普遍的なテーマが深く描かれている。時代も国境も超えて観客の心に響く、小津の映画美学とはいったいなんなのか。人物像と代表作を深掘りすることで、その芯を探る。
徹底した美学の追求
小津という映画監督を語るうえで、「小津調」と呼ばれる撮影手法について語らないわけにはいかない。その最も有名な特徴は、床に座った目線で撮影される低いカメラ位置。このスタイルになった理由は諸説あるが、より重要なのはその美学的な意図だ。
ちゃぶ台とそう変わらない高さから撮影される画角は、畳や床に座って過ごすことの多い日本の風景を美しく切り取る。座る姿勢においては凛と伸びた背筋が、立った姿を撮るときにはあおりの構図によって俳優のスタイルが際立つ。
またカメラをほとんど動かさない固定ショット、そして登場人物がまっすぐカメラを見て語りかける「対面ショット」の多用も小津調の重要な要素。これらは物語の進行よりも、登場人物の感情や彼らがいる空間の雰囲気、構図の美しさを重視する“小津美学”の現れと言える。
映像のなかに余計なアイテムを排し、場面転換には風景を映すなど「余白」の美も小津調の大事なポイント。そのこだわりは徹底的で、撮影現場で役者の演技に驚くほど細かい指示を出したことでも知られている。たとえば映画「秋刀魚の味」に出演した岩下志麻は、「セリフもなく無表情で巻き尺をいじる」というだけのシーンに100回以上もテストを重ねたとメディアのインタビューで語っている。セリフのイントネーション、首の動かし方、首の上げ下げのテンポまでこだわり抜く。小道具の料理皿だって赤坂の料亭から借りてきていたというから、感嘆のため息が出るというものだ。
同様のインタビューで岩下が語ったところによると、小津からは失恋の悲しみを表すシーンであるにもかかわらず「無表情に、無表情に」と指導されたとか。「志麻ちゃん、悲しい時に人間っていうのは悲しい顔をするもんじゃないよ」「人間の感情ってのは、そんなに単純じゃないんだよ」とのちに小津から聞かされた岩下は、その体験を“原点”と語っている。
日常という名の哲学──「東京物語」と「秋刀魚の味」にみる家族の肖像
小津安二郎の映画は、特別な出来事や劇的な事件を描くことはほとんどない。彼のレンズが捉えるのは、むしろ私たちが普段見過ごしてしまうような何気ない日常の断片だ。その哲学は戦後の復興期を描いた「東京物語」と、高度経済成長期の始まりを捉えた「秋刀魚の味」に最も顕著に現れている。
「東京物語」は、尾道に住む老夫婦が東京の子どもたちを訪ねる物語。久しぶりの再会を喜んでくれると思った老夫婦の思惑は外れ、それぞれの生活を優先する子どもたちの冷淡さが垣間見える。老夫婦をもてなすことに時間を割けない長男や長女、そして老夫婦を気遣うのは、すでに亡くなった次男の嫁である紀子(原節子)だけ。「家族を結ぶ絆と愛情は永久不滅」と語る作品が多いなか、小津はあえて普遍的でドラマのない日常を切り取った。
小津は特別に感動的なセリフや、大げさな演出を用いることはない。老夫婦が東京タワーの展望台から遠くを眺める背中や、子どもたちの家でちょっと居心地の悪い時間を過ごすようすを通して、いつかどこかにある家族の風景を描いた。このリアリズムに富んだ物語と“小津調”の映像手法は海外でも高く評価され、英国映画協会が発行する雑誌「サイト&サウンド・マガジン」が10年に一度発表している「映画監督が選ぶベスト映画」(2012年)では1位に輝いている。
また小津の遺作となった「秋刀魚の味」は、小津作品の美学を象徴する集大成と言っても過言ではない。娘の結婚を通して老いの孤独と向き合う父親の姿を描いた作品だが、この物語もまた誰もが経験する日常的なできごとが主題だ。
父・平山周平(笠智衆)は娘の路子(岩下志麻)が嫁ぐことを喜びながらも、やがて来る孤独に寂しさを感じている。彼は同級生たちと居酒屋で酒を酌み交わしながら、娘の結婚について語り、互いの老いを笑い合う。
先の「東京物語」でも“子どもたちの独立”を機に生まれる静かな離散を描いていた小津だが、同作では人生の哀愁とともに“それでもなお生きていく”人間の強さを滲ませた。ラストシーン、路子が嫁いだ後の静まり返った家の中。言葉もなくイスに座り込んだ老いて丸まった背中は、観客の胸に深い余韻を残す。
これらの作品に共通するのは、淡々とした語り口の裏に隠された人生に対する深い洞察。小津は人生の喜びや悲しみが“特別な瞬間”に存在するのではなく、日々の生活の中にこそ宿るという哲学を提示している。彼の映画は、私たち自身の生活を映し出す鏡のような存在だと言えるだろう。
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松竹





























