楽屋はどこにあるのか「舞台が終わったあとの打ち上げするみたいな想像をしています」
――菅田さんが取材会で、とにかくセットが豪華だったとおっしゃっていました。こだわった点などはありますか?
この作品はワンシチュエーションでもあるので、ずっと同じ場所、同じ時間で絵代わりがないんです。なので、セットの手を抜くと見てる方が飽きるんじゃないかなと。すごく細かいところまで美術さんがやってくださったので、もっと寄りで映してあげたかったなと思うくらいでした。
――最初に完成したセットを見た時、いかがでしたか?
監督や、役者さんたちは「すごーい!」って感動していたのですが、プロデューサーの私は段々不安になっていました(笑)。「これっていくらなんだろう?」とよぎってしまって、喜びきれなかったです(笑)。「もうちょっと削れたかな」などと考えていましたね(笑)。
――当時の世界観を意識するために気をつけたことはありますか?
中野ブロードウェイなどにいって、80年代の雑誌や漫画を購入して見ていると、意外と今もあるものが、当時もたくさんあったことに気がついたんです。なので、当時っぽさを出すには、それを混在させないといけないんだなと。
江戸時代とかだと全く今は無いものが多いですけど、1984年となると絶妙なデザイン違いのものとかも多くて。当時のものの量が少ないと昔ぽくないし、かといって今もあるものを置いておかないと、「そんなに昔ではないでしょ」となってしまうので、そこが難しかったです。
――ドラマのタイトルも想像が膨らみます。
最初の企画の段階では少しタイトルも違ったのですが、最終的にこのタイトルに決まりました。三谷さんは撮影中に「“もしもこの世が”ではなくて、“もしも世界”のほうがいいかな」、とおっしゃっていたんですけど、「前者でいいと思います」とお伝えしました。
私的には、この世が舞台で、あの世が楽屋みたいなイメージで。この世で一生懸命頑張って、みんな天国に行った時に、「いや〜大変な人生だったねえ」というような、舞台が終わったあとの打ち上げするみたいな想像をしています。皆さんもこのドラマを通して、ご自分の思う「舞台」、ご自分の思う「楽屋」を見つけていただきたいです。






























