小室哲哉【引退会見全文2】音楽制作への葛藤と引退を決意するまで
僕はまれな、こんな状態でも仕事をさせていただいている恵まれた存在なのですが…自分の思い込みではあるのですが、そういった罪があれば必ず償い、罰も受けなければいけないんだなという感覚は2009年の時にひしひしと感じたことなので、その時と同じ感覚を今回も持っています。
去年から頭をもたげていました音楽制作が自分にとって本当に優れたものなのか、優れていないのか、定年に近い人間が今の現代のすごく目まぐるしい状況のエンターテイメント業界の中で何の役目があるのか。そんな引退みたいなことがどんどんどんどん頭をもたげてきまして。
常に頭に浮かんでいたのは、皆様に「お疲れ様」と言っていただいているような祝福を受けまして、グラウンドの中に立ってスポットライトを浴びて「ありがとうございました、長年」というようなアスリートの方とか、野球選手の方とかの引退セレモニーみたいなことを夢見た日々も、ここ一か月二か月三か月は正直ありました。
しかし、自分の甘さからそういった環境ではなく、このような素晴らしい場所ではあるものの、勇退される方とはかけ離れた状況で、今回の行動による罪を償うとともに、自分の身体的な限界であったりとか、このエンターテイメント業界に僕の才能が本当に必要なのかと、もはやここまでかなと、音楽の新しいものが作れるのかなという自問自答を続けてきましたが、報道された…報道していただいたという言い方かもしれませんが、僕が音楽の道を退くのが私の罪(滅ぼし)であると思いました。