【テレビの開拓者たち / 倉本美津留】テレビバラエティー冬の時代に送る熱いエール
「ダウンタウンのごっつええ感じ」(1991~1997年フジ系)、「一人ごっつ」シリーズ(1996~1998年フジ系)、「冒冒グラフ」(1995~1996年フジ系)といったお笑い番組をはじめ、「伊東家の食卓」(1997~2007年日本テレビ系)、「たけしの万物創世記」(1995~2001年テレビ朝日系)などの人気番組を数多く担当し、現在も「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)や「シャキーン!」(NHK Eテレ)など、個性的な番組を世に送り出している放送作家・倉本美津留氏。ミュージシャンとしての顔を持ち、成長期限定ユニット・さくら学院の“校長”としてアイドルグループをプロデュースするなど、笑いの世界と音楽の世界の垣根を越えて自由に飛び回っている彼が、もの作りの秘密や、盟友・ダウンタウンとの出会い、さらに今後作りたい番組について語ってくれた。
笑いと音楽が一体になったものが好きでした
――倉本さんは、子供のころからお笑いが好きだったんですか?
「好きだったのは、クレイジーキャッツ、モンティ・パイソン、あと、モンキーズですね。モンキーズというのは、ビートルズのライバルみたいな形で登場したアメリカのアイドルバンドなんですけど、『ザ・モンキーズ・ショー』というコメディ番組が当時日本でも放送されていて、小学生のときに夢中で見てました。クレイジーキャッツもそうですけど、笑いと音楽が一体になったものが好きだったんですよね。中高生になってからも、スネークマンショーにハマってましたから。スネークマンショーのアルバムには、コントとコントの合間に、YMOまわりのすごいミュージシャンたちの楽曲がガンガン入っていて。決してコントの幕間を音楽がつないでいるわけではなく、むしろ、“音楽を聴かせるためのコント”になっていて、『これはおもろい!』と。当時、自分でも友達と一緒に、多重録音しながら笑いと音楽のラジオコントみたいなものを作って遊んでました。『スネークマンショーを超えよう!』なんて言いながら(笑)」
――倉本さんにとっては、笑いとともに、音楽も常にそばにあったわけですね。
「将来、ミュージシャンになるか、お笑いの世界に行くかで悩んでたんですが、何となく視野は世界の方に向いていて、国境の壁を越えるなら、笑いよりも音楽なのかなという思いは漠然とありましたね。それで、音楽活動は続けてたんですけど、なかなか芽が出なくて。それで、まずは音楽業界にコネを作ろうと思ったんですよ。ただ、当時は大阪で“業界”っていうと、テレビやお笑い関係の制作会社ばかり。それでも、とにかく何か行動に移さないと、と思って入ったのが、かつて『ヤングおー!おー!』(1969~1982年毎日放送)を手掛けていたプロデューサーが独立して作った制作会社だったんです。そこで働くことになったんですが、“音楽を作る”のと同じくらい好きだった、“面白いことを考える”ことの方を重宝がられて(笑)。業界の先輩たちから『作家に向いてるんとちゃうか』と言われたことがきっかけで、放送作家になりました」
――今でも、倉本さんの番組作りには音楽的な発想があるのでしょうか?
「その感覚はずっとありますね。ビートルズ的発想というのかな。なぜ彼らは時代を超えたスーパースターになれたのか、その過程には、クリエイティビティというものに対する基本的な考え方、法則やヒントがたくさん隠されているんです。『他の誰もやっていないことを、どんな形で、どんなタイミングで世の中に打ち出していくのか』とか、『人々に驚きを与える革新性とポップな大衆性を兼ね備えたものは、どうやって作ればいいのか』とか、そういったことは常に考えています」