【テレビの開拓者たち / 浜崎綾】賛否両論が巻き起こるくらい、見た人の価値観を揺さぶるものを作りたい
2004年にフジテレビに入社後、1年目にして「新堂本兄弟」(2004~2014年)のライブパートの演出を担当。以降も、「FNS歌謡祭」(1996年~)をはじめ、数々の音楽番組を手掛けてきた浜崎綾氏。2008年から携わっている「MUSIC FAIR」(1964年~)は放送2700回を迎え、記念コンサートの模様が4週連続で放送されている。また音楽番組以外にも「KinKi Kidsのブンブブーン」(2014年~)などバラエティー番組も手掛ける浜崎氏に、それぞれの番組作りの面白さや、番組ごとの演出法の違いなどについて聞いた。
小学校から帰ると、いつもユーミンのライブビデオが流れてるような家だったんです
──学生時代にバンド活動をされていたそうですが、フジテレビに入社されたのも音楽番組を作りたいという動機から?
「そうですね。とにかく、“映像”で音楽に携わりたい、という思いが強かったんです。うちの母が松任谷由実さんの熱狂的なファンで、私が小学校から帰るといつもユーミンのライブビデオが流れてるような家だったんですけど、その映像が本当にかっこよくて。子供心に『こういうものを作りたい!』と思っていたんです。それと、母はよく家族旅行のときとかにホームビデオを撮っていて、自分で編集もして、BGMもつけていたんですね。全く普通の専業主婦なんですけど、今思い返しても、場面ごとの選曲なんかが絶妙で(笑)。それが私の中に無意識にすり込まれていたんでしょうね」
──念願叶って、2004年の入社1年目から「新堂本兄弟」のADになられたそうですね。
「当時、フジテレビの音楽番組を一手に手掛けていたプロデューサーのきくち(伸)さんが、『僕らの音楽』(2004~2014年)を立ち上げたばかりで、特に力を入れていた時期だったので、『きくちさん、今「僕らの音楽」で大変ですよね。「新堂本兄弟」の音楽コーナーの制作は私がやりましょうか?』って、さりげなくアピールしたんです(笑)。そしたら、『じゃあ、次の収録から吉田建さん(※堂本ブラザーズバンドのバンドマスター)と直接話して』と言われて、1週間後には建さんと電話でやりとりするようになって。建さんにはいろいろなことを教えていただきましたね。『Aメロから始めるとインパクトが弱いから、サビをアタマに持ってこよう』とか、要するに、生バンドによる音楽の作り方について、基礎から学ばせていただいたというか。収録は毎回3本撮りでしたから3曲分、1000本ノックを受け続けたようなもので(笑)、あの時期の経験は、間違いなく自分の礎になっています」