清水尋也 陰のある役が多いのは顔のせい!?
――では、「ちはやふる」や「電影少女―」のような等身大の高校生の役だと、どうですか?
「ちはやふる」は僕にとって特別な作品で、原作を読んでいても一番好きなキャラクターが(自身が演じた)須藤暁人だったんです。なので、これを演じるなら僕以外にありえないと思っていたし、須藤に対する理解は誰よりも深いと思っていたので、いい意味で役作りの苦労はなかったです。
「電影少女―」の古矢智章も、若いゆえの不器用さみたいなところは、周りの同級生を見ていてもあるし、わりとリアルタイムで起きていることなので、役作りの苦労というのはそんなに。でも、監督から“運動部寄りの文化部のトップ”と言われたのは、理解するのに時間がかかりました。運動部ほどはつらつとしてないけど、文化部の中で一番運動部に近いやつという意味なんですけど、それを表現するのは難しかったですね。
――「anone」で演じられた彦星の場合はどうでしょう?
彦星に関しては、僕は難病にかかったことがないから、あまり病気のことは気にしなくていいかなと思っていました。とはいえ、歩いている姿があまり軽すぎると病気に見えないので、そこは意識しつつ、ハリカを思う気持ちを最優先しながら演じていました。
――「ちはやふる」は少し違いますが、今回の「ミスミソウ」や「anone」、そして注目を集めるきっかけとなった「渇き。」など、陰のある役を演じられることが多いように思いますが、ご自身的にはどう感じていますか?
多分、「渇き。」のイメージが強いんでしょうね。すごく作品に恵まれていると思うし、とてもありがたい話なんですけど、正直に言うと、ちょっと複雑です。役者として1つのイメージに固定されてしまうのはどうなんだろうと思って。とはいえ、僕のこの顔、この雰囲気だから、そういう役が多くなるのは仕方がないのかなと。なので、あまり気にしなくてもいいのかなとも思っています。