90万円しかなかった矢野浩二が「中国で一番有名な日本人俳優」になった理由
現在、「警視庁・捜査一課長season3」(毎週木曜夜8:00-8:54 テレビ朝日系)の鑑識課員・武藤広樹や「SICK'S 恕乃抄 〜内閣情報調査室特務事項専従係事件簿〜」(Paravi独占配信)の陳部長を演じている矢野浩二。2000年から中国のドラマ、映画などで活躍し、2008年からはバラエティ番組「天天向上」のレギュラーも務めるなど、中国で最も有名な日本人俳優といわれている。
そんな彼がどのようなきっかけで中国に渡り、人気を獲得していったのか。ザテレビジョンでは、その軌跡を語ってもらった。
「“スターになれるよ”の言葉を真に受けた」
森田健作(現・千葉県知事)氏の運転手兼付き人をしていた矢野が初めて中国の作品に参加したのは、2000年4月のこと。連続ドラマ「永遠の恋人」の日本人留学生役として、現地で3カ月間撮影に没頭した。
ーー中国語は話せなかったんですよね?
全く話せませんでした。ただ、役柄は、中国の大学で京劇を学んでいる中国語ペラペラの日本人だったんです(笑)。
ーーということは、多少、中国語を話すシーンもあったと思いますが。
そこは編集の時に僕の声を中国の声優さんが吹き替えていました。
ーーそんな撮影中に、「中国で役者として活動したい」と思ったんですか?
自分よりも周りが言ってくれたんです。“浩二、いいんじゃない。中国に来たら、スターになれるよ”と。中国の人達は海外の人に凄く寛大なんです。今思えば、ノリで言ってくれたんだろうなと思いますけど、それを僕が真に受けたんですよね。
事務所と森田さんに話を通して、中国での生活費が貯まるまでは役者の仕事とアルバイトをして、2001年から中国でひとり暮らしを始めました。
空白期間も「次のステージのための前触れ」
日本で貯めた90万円の資金を持って中国へ渡った矢野。ほとんど仕事のない時期を1年半ほど過ごし、徐々に役者の仕事が入るようになった。
ただ、役柄はすべて歴史ドラマでの日本人の軍人役。「同じようなキャラクター設定と芝居しか求められなくて、どんどんやりがいを失っていった」(矢野)という時期を経て2006年、“軍人役”から離れる決断をする。
ーーそれでも軍人役のオファーは届いたと思いますが。
全て断ったので、半年ぐらい仕事がピタリと止まりましたね(笑)。
ーーその半年間はどのように過ごしていたんですか?
本当に空白の時間でした。ただ、僕自身の気持ちは前向きでしたよ。次のステージに行くための前触れなんじゃないかと思って。何をするにしても困難の壁は付きものじゃないですか。
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