落語の世界の中に生きてる人なんだろうな
――美濃部孝蔵という人物の魅力はどんなところだと思いますか?
自分の悲惨な人生を、どこか俯瞰で眺めていて、それを噺に起こして、お客さんを引き付ける笑いに変えられる。そういうことを、彼はいつからできるようになったのかは知らないですけど、落語の世界の中に生きてる人なんだろうなって思います。
彼が落語で話してる内容は、彼自身がやっていることと地続きに感じられて、リアリティがあるんですよね。
自分に起こったえげつない話やひどい話も、どことなく愛嬌のただよったエンターテインメントとして昇華させる。そこに人生を捧げ切っていますよね。
――孝蔵は、登場人物でもあり、語りも務めていますが、演じ分けなどは意識していますか?
撮影しているときは、ナレーションのことは特に意識していないです。僕が話している落語がストーリーにリンクする瞬間とかもありまけど、その“メタ構造”みたいなものを僕自身はことさら意識しなくてもいいかなと思ってます。
四三と田畑という2人がいて、2人と同時代を生きていた生き証人という位置と、狂言回し的なポジションを与えられてるので、そこに乗っかっていければいいかなと。
ナレーションは、大根仁という監督と、「モテキ」(ドラマ、映画)をやったとき、モノローグがむちゃくちゃあったので、それで鍛えられたところはありますね。
――古今亭菊之丞さんから指導を受けて落語にも挑戦されていますが、苦労などはありますか?
まずい落語といい落語っていうものの違いも分からないくらいずぶの素人だったので、とにかく寄席にも通いましたし、映像も見ました。
でもいまだに難しいです。落語だけでなく、江戸前の気質というものをどのように捉えたらいいのか分からなくて。
いくら江戸前の言葉で話をしようとも、メンタルが僕は関西人なので、やっぱり関東とは違うんですよ。人との関わり方や生き方が多少違うので、僕にはない部分である、「竹を割ったような性格」みたいな感じが出せるのかということは気にしていました。
でも、所作指導の友(吉鶴心)さんが、何代も浅草に住んでいる方なんですけど、「江戸や浅草も結局はいろんな人間の集まりであったりして、なにが厳密に江戸なのか、浅草なのかという話は現実的ではない」というお話をされていたんです。
江戸には、大災害があったときに地方からたくさんの人が流れ込んできたときもあったそうですし、一概に何が江戸前の気質なのかっていうのも分からないんですよね。
落語もそうで、たけしさんがたけしさんのままでいるように、僕は僕なりのアプローチで、(落語を)できる方法を見つけられたほうが面白いのかなって。
菊之丞さんが「技術がある程度のところまで到達しても、どうやったら面白くなるかは、結局人となりだったりする」と言ってらっしゃいました。
だからこそ、孝蔵は江戸前の言葉でしゃべるし、気質も意識はするんですけど、あまりそこにとらわれ過ぎなくてもいいのかなって思ってます。