<ミヤザキタケル 映画連載 第2回 >実話作品だからこそ得られる最上級の勇気【ザテレビジョンシネマ部】
悲しい生き方とはどんな生き方のことを指すのだろう。リウマチで身体が不自由なことだろうか、借金に追われることだろうか、孤児院出身であることだろうか。そうじゃない、きっと違う。自分には何の価値もないと、誰にも必要とされていないと感じながら生きていくことだと思う。
一定の年齢に達してしまえば、ある程度自分という人間の器の大きさが見えてくる。何ができて何ができないのかがハッキリとし、高望みすることはやめて、自分に見合った生き方を選択する者がほとんど。中にはあらがい続けて一発逆転する者もいるが、何も成し遂げられぬまま朽ち果てていく者も大勢いる。
けれど、誰にだって何かしら取りえはあるもの。ただ、それが特技と呼べたり、履歴書に書けたり、金を稼ぐことに直結したり、多くの人から褒めたたえられるようなものであるとは限らない。が、この世界は広く、まだ出会っていないたくさんの人々がいる。
自分のことを必要としてくれる人が、自分の取りえに価値を見いだしてくれる人が、どこかにひとりくらいはいるかもしれない。そんな相手に巡り会うことができたのなら、どんな状況であろうとも前を向いて生きていけるはず。生涯を共にすることになるエヴェレットとの出会い、衝突、相互理解を経て変化していくモードの心模様が、その事実に気付かせてくれる。
もちろん、そんな相手に巡り会うためには行動を起こすことが必要不可欠。ひとりふさぎ込んでいるうちは価値ある出会いに恵まれるわけもなく、外の世界へ目を向けなければ変化は訪れない。一歩踏み出してみたところで何か得られる保証はないし、後悔することだってあるだろう。それでもなお、挑戦し続けた者にだけチャンスは巡ってくる。身内に厄介者扱いされても、エヴェレットから多くを否定されても、自らの居場所を模索しひたすら絵を描き続けたモードの熱意が、これまた大事なことに気付かせてくれる。
自分に自信を抱けずにいる者にとって、自らの存在意義を見いだそうとあがき続けている者にとって、彼女の人生は大きな気付きを与えてくれる。本作との出会いが、あなたにとって一歩踏み出すためのキッカケにつながれば幸いです。