『友罪』に観る、瑛太の唯一無二の危険な魅力<ザテレビジョン シネマ部>
ここに、俳優・瑛太の稀有なエナジーの本質がある。
誰かを惹きつけ、吸引する。だが、接近した誰かに自身のすべてを理解させるような時間はついに訪れず、ただその闇の深淵にふと触れたことで、そばにやって来た誰かは、その強烈な命の匂いだけを心身に刻むことになる。こびりついて離れない残存だけが、記憶と化す。
つまり、瑛太がある人物を演じるときに生まれるオーラは、ひどく身体的なのだ。『友罪』で彼が演じているキャラクターは、実にナイーブである。彼はもう二度と他人を傷つけたくないと思っている。しかし孤立する彼の魂は「どうしようもない」ほどの衝動と隣り合わせにあり、それを制御できず、あるとき、自分を痛めつけることにもなる。その、あたかも事故のようなシークエンスに遭遇したとき、私たちの内部に、ある戸惑いが生まれる。
私は、この人のことが分からない。けれども、抱きしめたい。しかし、抱きしめたところでどうにかなるとは思えないし、抱きしめたことで私自身が壊れてしまうかもしれない。でも。
そんな躊躇と混迷のループ。
人は、理解できないからこそ、近づいてしまうことがある。また、傷ついてしまうことが分かっていても、抱きしめたくなることがある。
人間の精神と神経にもともと設置されているアンビバレンツな感情を、瑛太は愛撫し、刺激し、高めていく。『友罪』は、そんな彼の特異性をまざまざと体感させてくれる映画だ。
文=相田冬二
映画批評家。通算20作目となるノベライズ『さよならくちびる』が徳間文庫より発売中。雑誌「シネマスクエア」にて〈相田冬二のシネマリアージュ〉を連載。