若旦那こと新羅慎二、妹役が磯山さやかと聞いて「テンション上がりました(笑)」
音楽で出せない気持ちが演技だと出せる
――“若旦那”でなく、本名で俳優業を始めたのはいつから?
新羅慎二:今年です。湘南乃風に育ててもらった部分もあるんですけど、湘南乃風とソロでやっている音楽は違うから、イベントの主催者からジャンルがあやふやで扱いづらいと言われて(笑)。若旦那ってレゲエだよね?と。俳優業も若旦那だと、今までのイメージに即した役がどうしても多くて。もしかしたら、湘南乃風のイメージが強すぎることで、新羅慎二としての可能性が狭まっているのかな、と。
確かに若旦那って名前は浸透しているし、新羅慎二って誰?ってことが多いのは分かっていますけど、人気者でありたいのでなく、表現の幅を広げたいという思いのほうが強くて。実際本名で活動したらいろいろ話をもらえるようになったんですね。ちゃんと住み分けができたというか。
――なぜ俳優活動を?
新羅:自分の音楽が変わってきたのが大きいです。自分のことを歌うより、作詞で他の人の人生を書くことが多くなったんです。今までずっと、歌詞でも自分の感情を表現していたのを、4年くらい前かな? 人の気持ち、自分のテーマソングでなく、誰かほかの人のイメージで歌を作るようになって、歌うときも歌詞の主人公になりきる気持ちを持つようになり、演じること、役者業の勉強を始めたんです。最初は音楽のために役者を始めた感じです。
――今もその気持ちで?
新羅:音楽のため、という芯はぶれてないですけど、芝居そのものがすごく楽しくて。音楽で出せない気持ちが演技だと出せる。役者をやっていることでライブがどんどん良くなっているんです。ものすごく。表現力が増したと周りの人たち、スタッフもファンのみんなからも言われています。
湘南乃風のメンバーは「何やってるんだか」って思っているんじゃないですか(笑)。自分がやりたいこと、誰に止められても突き進んじゃうタイプなんですよ。
悪役って、心のデトックスだと思います
――今回は悪役です。悪役を演じることについて思うことはありますか?
新羅:実は悪役は避けていたところがありました。悪役を最初にやってしまうと、そのイメージがついてしまうから。でも、以前からファンだった和泉聖治監督のオファーで参加した作品で思い切り挑戦したんです。そうしたら自分の中で押さえつけていた感情が解放されるのを感じて…悪役って面白い、と。
人間って二面性のある動物。善と悪、誰しもが持っている。でも、現代のこのSNS社会では善の部分しか求められない。悪はほんの少しでも見せられない。それが演技だとその悪の部分を見せることを求められる。自分の中の毒を出すことがキャリアを積むのにつながる。こんな面白い作業ってないな、と。悪役って、心のデトックスだと思います。
――今回演じる山沢はただの悪役でくくれない役では? 弱さや愚かさがあると思います。
新羅:幼稚さもですね。体が大きくて、腕っ節が強い。それだけでまかり通ってきた。その腕力を買われ、ちやほやされたこともあるでしょう。それで、そのまま大人になってしまった。でも幼稚だし、精神年齢も低いままで。で、にっちもさっちもいかなくなっている男として演じています。
今回、台本を読んで山沢の言動をシンプルに表現しようと思いました。アクションも無駄がなく、シャープな感じ。感情の起伏も出さず、頭にあるのは「明日、遊ぶ金があればいい」ぐらい。
演技プランもいろいろな想像をしますけど、「ここで(俳優として)布石を残そう」はないです。役に徹したいし、山沢は「ミラー・ツインズ」の中で、実は次の展開を動かす重要な役です。その部分をぼやかしてしまったら、作品の中での役割を全うしていない、ということになるので。
――山沢と妹・千鶴の関係について、どう思いますか?
新羅:磯山さんが妹役と聞き、テンション上がりました。「おおっ」と(笑)。山沢は妹にも甘えてますよね。声のトーンが妹と話すときはちょっと上がる感じ。何考えているのか分からない男の、唯一の人間味が出るのが妹とのやりとりだと思います。
――最後に、原点である音楽への思いも聞かせてください。
新羅:音楽ってアウトローへの応援でもあるんです。社会からはじき出されたやつを肯定してあげる。山沢みたいな男だって見捨てないし、こういう男の良いところを見つけてエールを送れるのが音楽の良さでもあります。本当に山沢みたいな男がいたとして、その心に寄り添えるようない歌を作るのが僕の役目だと思っています。