映画よりエキセントリック! 鬼才ロマン・ポランスキーのスキャンダラスな肖像<ザテレビジョン シネマ部>
『戦場のピアニスト』('02)で第55回カンヌ国際映画祭パルム・ドール、第75回アカデミー賞監督賞に輝いたロマン・ポランスキーは、その他にも、『チャイナタウン』('74)で第32回ゴールデン・グローブ賞監督賞、第50回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(特別功労賞)、『ゴーストライター』('10)で第60回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)など華々しい受賞歴を誇っている。まぎれもない"巨匠"なのだが、半世紀以上にわたって築き上げてきたフィルモグラフィには彼にしか撮ることのできないエキセントリックな異色作がひしめいており、世界中の熱狂的なファンの支持を集める"鬼才"と呼ぶほうがふさわしい。
想像力豊かなシナリオ・ライターさえも思いつかないくらい波瀾万丈の壮絶人生を歩んできたポランスキーは、作品の評価とはまったく関係ないところでマスコミの好奇の目にさらされてきた。このたびWOWOWで初放送される『ロマン・ポランスキー 初めての告白』('12)は、ポランスキー本人が長年の友人であるアンドリュー・ブラウンズバーグの質問に答える形で、悲運とスキャンダルにまみれた自らの人生を率直に語るドキュメンタリーである。
1933年、パリに生まれたポランスキーは、3歳の時に両親の祖国ポーランドに移り住んだが、それは最悪のタイミングだった。まもなくナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、ワルシャワの街は無残に破壊される。自分がユダヤ人だということもよく理解していなかった幼いポランスキーは、ゲットーでの過酷な生活を経験し、両親を強制収容所に連れ去られた。当時、ポランスキーが実際に見聞きしたおぞましい出来事の数々は、『戦場のピアニスト』で克明に再現されている。
からくも戦争の時代を生き延びたポランスキーは、映画監督として唯一無二の才能を開花させていく。『吸血鬼』('67)で巡り合った若き美人女優シャロン・テートと1968年1月に結婚。同年夏に全米公開されたオカルト映画『ローズマリーの赤ちゃん』('68)も大反響を呼び、ハリウッドでの輝かしい未来が約束されていた。ところが、この人生において最も幸福だった時期に、何の前触れもなく第2の悲劇が降りかかる。米LAの自宅に侵入してきたカルト教祖、チャールズ・マンソン率いる一味によって、妊娠中の妻シャロンを惨殺されてしまったのだ。このときポランスキーは新作の準備のため英ロンドンに滞在していたが、このネタに群がったマスコミは憶測に基づくスキャンダル記事をこぞって書き立て、失意のポランスキーをさらなる絶望のどん底に突き落とした。