時代を駆け抜けた永遠のYOUNG MAN! 西城秀樹を忘れはしない<ザテレビジョン シネマ部>
不世出のスーパースター、西城秀樹が惜しくも旅立ってしまってから、もうすぐ1年がたつ。
別に、思い出したわけではない。「思い出す」というのは普段、忘れていること。私たちは決して、あなたの勇姿を忘れはしない。残された数々の作品たちが今も変わらず雄弁に、その唯一無二の存在の証しを物語っている。
WOWOWは「一周忌追悼 西城秀樹『YOUNG MANよ永遠に』」と題して、ライブ・ドキュメンタリー映画『ブロウアップ ヒデキ』('75)と主演映画『傷だらけの勲章』('86)を何と、命日の5月16日に放送する! いいセレクトだと思う。というのもこの2作、劇場で上映される機会があれば、たちまち満員になる人気プログラムなのだから。ちなみに『傷だらけの勲章』は、未DVD化の作品である。
少し振り返ろう。西城秀樹は70年代初頭に活躍を始め、ワイルドでドラマティックなボーカル・スタイル、圧倒的なライブ・パフォーマンスでその地位を確立し、1974年には伝説の大阪球場に立って、ソロ・シンガーとして日本で初めてスタジアム・コンサートを開催した。映画『ブロウアップ ヒデキ』はさらに勢いづく翌1975年、7~8月にかけて自身初、全国15カ所31公演を行なった「西城秀樹・全国縦断サマーフェスティバル」の模様を記録したものだ。当時、彼はデビューして4年目、20歳になったばかりの若さだった。
まず開幕イベントの、富士山麓に用意された特設野外ステージでのアクトからしてすごい! 指揮、編曲を担当する惣領泰則の壮大なオープニング曲が始まると、ヒデキはゴンドラに乗り込み、クレーン車で空高くつられながら「ブローアップ・マン」の前奏とともに地上に降りてくる。そして、彼のグッドな音楽的趣向が分かるカバーを2曲、ディスコ・テックとザ・セックス・オ・レッツの「ゲット・ダンシン」とザ・ローリング・ストーンズの珠玉のバラード「悲しみのアンジー」を披露(ちなみに「ゲット・ダンシン」でメンバー紹介をする。
ファンならご存じ、グルービーな藤丸BANDこと芳野藤丸とUFO、永尾公弘とザ・ダーツ、それから女性コーラスの"クルクル"だ)。次は衣装を変え、10m以上組み上げられたセットを駆け登って頂上で再びゴンドラに乗り、空に舞い上がった状態で「恋の暴走」を歌い、「情熱の嵐」では乗り換えたゴンドラでひしめく観客の頭上近くにまでやって来る。最後は「グッド・バイ・ガールズ」で締めくくり、興奮冷めやらぬ中、ヒデキはヘリコプターで空へと消えていくのだった。
もちろん、他会場でのライブ映像も収められていて、あの「傷だらけのローラ」はフランス語バージョンで歌っている。「Lola」のタイトルでフランス、カナダ、スイス、ベルギーなどでもレコードが発売され、カナダではヒットチャートで最高2位を記録したのは有名な話だろう。ツアーのラストは大阪球場。このあとの11月に、日本人ソロ歌手として初の東京・日本武道館公演を行なったのだ。やはりザ・スーパースター!