人工呼吸器なしに生きられなくなった男性の実話を描いた感動作「ブレス しあわせの呼吸」<山崎ナオコーラ映画連載>
山崎ナオコーラが映画をテーマに等身大でつづるエッセイ。第9回は、病気により人工呼吸器なしに生きられなくなった男性と彼の家族の実話を描いた感動作『ブレス しあわせの呼吸』(12月17日夜7:00 WOWOWシネマほか)を観る。
第9回『ブレス しあわせの呼吸』
いい話っていいな、と単純なことを思った。観て本当に良かった。
ただ、最初、タイトルにちょっと引いた。「ブレス」とあって、そのあとに「しあわせの呼吸」と続く。おい、おい、呼吸がかぶっているじゃねえか。あと、「しあわせの」って言葉は安易だよね。最近の洋画はこういうタイトルが多くて、観覧者をバカにしているように感じられてしまう。「世間の人って、『しあわせ』とかが好きなんでしょ? しかも、『幸せ』じゃなくて『しあわせ』って平仮名の方がピンと来るんでしょ?」と軽んじられている気がする。私はそんなにバカじゃないよ、と、つい思ってしまう。
闘病、実話、人生、幸せ、といったグッと来るイメージに踊らされるのが嫌だ。
だが、確かに、私は幸せになりたいのだった。
もしも、映画を観たあと、幸せに一歩でも近づけるのなら、その映画は絶対に観たい。
以前、『素晴らしき哉、人生!』という40年代に撮られた古い映画を観て、衝撃を受けた。これを映画にしていいんだ? 確かに、いい映画だ。観て良かった。素晴らしかった。けれども、内容は、ただのいい話じゃねえか。「人間の善意っていいよね」というのが、単純なストーリーと、わかりやすいキャラクターで、簡単に表現されているだけの映画なのだ。なんというか、今だったら、こういう映画の企画を立てたら、撮る前に潰されるような気がする。意外な展開、社会的な意義、多様性の表現、といったものがないと映画としての価値が認められないのではないか。これは、昔だったから撮れた映画なのではないか?
でも、今だって、こういう映画を撮っていいはずなのだ。
自分の人生をどう生きるか?
誰もが幸せになる方法がどこかにあるのではないか?
そういう問いに単純に挑む映画は、この世に必要だ。
明日に重度障害者になる可能性を、誰もが持っている。
そのことを、多くの人が、忘れたような顔をしながらも、頭の片隅で気にしている。
だから、『ブレス しあわせの呼吸』の主人公のロビン(アンドリュー・ガーフィールド)に、多くの観覧者が自分を重ねる。