――今回は、二葉さんのヒストリーに注目していきたいんですけど、ダンスを始めたのはいつ頃からですか?
小学校3年生の頃からずっと習っていました。当時は全然趣味がなかったんです。友達に「初回のクラスがあるから」と誘われて、軽い気持ちでダンスを始めたらすごく楽しくて。ダンスの前に体操を習っていた時期があったんですけど、練習を地道に続けることが苦手だったんです。あ、今はそんなことないですよ(笑)。
でも、ダンスと出逢って、こんなに面白いものがあったのかと。覚えたばかりの振りを家で練習したり、買い物中にショッピングモールで流れている音楽に合わせて踊ったり、すごく楽しかったです。
――好きなものだから続けられたわけですね?
そうなんです。ダンスは自分が初めて没頭できた趣味。白い紙に、月曜日はロックというダンスのジャンル、火曜日はパンキング、水曜日はジャズと、一週間の練習スケジュールを書いていました。
――とても練習嫌いだったとは思えない変わりっぷり(笑)。
それくらい好きになったダンスをお仕事として今も続けているんだなと思うと、すごく感慨深いものがあります。
――ダンスと出逢った二葉さんがTPDのオーディションを受けたきっかけは?
たまたま母と買い物に行った時に「ダンス、モデル、歌手、女優、何でもやりたい方募集!」という告知を見つけたんです。
母から「あんた、ダンスやったらいけるんちゃう」って言われて。芸能界には全然興味がなかったので、あまり乗り気ではなかったんですけど、受けたらなぜか合格して東京に行くことになりました。
――人前に出るのは苦手だったんですね。
もともと人見知りな性格でした。ただ、ダンスだったら自分を表現できるかもしれないという想いはありました。
――東京に出てきたのはいつ頃?
中学3年生の時に上京したので、中学最後の1年は東京の学校でした。
地元の中学には仲の良い友達がたくさんいて、みんなと修学旅行でディズニーランドに行くことを楽しみにしていたので結構悩みました。
お母さんともケンカしましたし、悲しくて泣いたこともあります。でも、オーディションに受かったということは大きなチャンス。何かを得たら何かを諦めないといけないんだなって強く感じたことを覚えています。
――上京する時には気持ちの整理がついていたんですか?
行くと決めたら「よし、頑張るぞ!」という気持ちに。ただ、いざ上京してみると友達に会いたい、母に会いたいという想いが強くなりました。やっぱり、新しい学校の環境に慣れるまでには時間がかかったし、舞台「PLAY×LIVE『1×0』」の稽古やレッスンなど初めて経験することばかり。
歌も苦手だったので、嫌で嫌で仕方がなかったんです。でも、逃げる道がなかったから、やるしかなかった。今振り返ると、結構つらい時期だったのかなと思います。
――TPDを結成してからCDデビューまでの1年で学んだことは?
「PLAY×LIVE『1×0』」の時に、演出のウォーリー木下さんから「空間を埋めろ」と、ずっと言われていました。メンバーの誰かが上手に寄っていたら自分が下手の方に行って、ステージ全体の空間を埋めることが大事だと。
――ステージを大きく、広く使うということなんですね。
今ではダンスのフォーメーションなどで、あの時に学んだことが生かされているなと感じることが多いです。そういう感覚を身に付けたからなのかどうかは分からないですけど、日常生活でも渋谷スクランブル交差点を歩いている時に人と人との間を器用に抜けられますよ(笑)。
――全体を見ることができるから、こっちに行けばスムーズに歩ける、あっちだと人が少ないとか、即座に判断できるということですか?
たぶん、そうなのかもしれません。だから、友達よりも先にどんどん進んでしまって誰も付いて来られないことがよくあります。これは、自然と身に付いた私の“武器”ですね(笑)。
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