アカデミー賞3部門受賞の話題作『グリーンブック』を人気作家山崎ナオコーラが語る「気持ちが少しだけわかる」
反発しつつも、トニーは、妻への手紙の代筆をしてもらったり、身の上話を聞いたりしているうちに、ドクター・シャーリーに心を通わせていく。
影では差別用語を口にして、安易に黒人蔑視をしていたトニーが、ドクター・シャーリーと一緒にいるうちに、差別の鋭い刃を感じるようになる。
この土地のならわしだから……、伝統だから……、と南部の人々は、ドクター・シャーリーが黒人であることを理由に、トイレで用を足すのも服の試着もレストランでの食事も拒否する。
こういうシーンを、現代日本に生きる多くの観客が憤り、理に適っていない人権侵害だと捉えるだろう。
でも、私は、日本の性差別と合わせて考え、今も同じようなことが多くの人によって行われていると思った。相撲や高校野球や天皇制だって、ならわしだから……、伝統だから……、と拒否される。性別によってトイレが分けられている。高級レストランではレディファーストに甘んじなければならない。納屋のようなトイレや、物置のような控室を案内されるドクター・シャーリーほどの屈辱ではないかもしれない。だが、差別は現代にもある。
ドクター・シャーリーは、「ピアニスト」ではなく、「黒人ピアニスト」として扱われ、クラシックよりもジャズを弾いた方がいいと助言される。
それは、私が、「作家」ではなく、「女性作家」としてしか扱ってもらえず、何を書いても、「女性たちの共感を得るために書いているのでは?」「男性主人公にしたのは男性に対して言いたいことがあるからでは?」「女性らしさを活かして仕事をした方がいい」と指摘されるのに似ていた。
ドクター・シャーリーは、仕事をしているときはちやほやされても、街を歩くときは「黒人」と蔑まれる。
私は、仕事をしていないときに、買い物などの場面で「主婦」のように扱われて店員から意見を軽んじられたり、「ブス」と蔑まれたりする。
それで、私はドクター・シャーリーの気持ちが少しだけわかるような気がした。