梅宮辰夫さんの四十九日を終えて妻、娘、孫が思いを明かす
梅宮クラウディア、梅宮アンナ、梅宮百々果が、2月16日(日)放送の「ボクらの時代」に出演。2019年12月12日、慢性腎不全のため81歳で亡くなった梅宮辰夫さんとの思い出や、4年間の闘病生活などについてトークを繰り広げる。
率先して育児に参加していた梅宮辰夫さん
四十九日を終え、娘のアンナが「落ち着いて話せるようになった。階段を一段上がれたかなと思う」タイミングということで、3人で辰夫さんについてテレビで初めて語ることに。
18歳になった孫娘の百々果は、バラエティー番組の出演経験はあるものの、トーク番組への登場はこれが初めてとなる。
収録場所に選ばれた東京・銀座の鉄板料理「銀座うかい亭」は、辰夫さんが愛した名店の1つ。
アンナは「(「銀座うかい亭」には)去年9月か10月に一緒に来て、ここでお肉食べたんだよね。お客の中でも1番レアで食べていたと思う。レアよりも生の“ブルー”で」と振り返る。
百々果が生まれてから一変したという梅宮家。アンナは「離婚して良かった。百々果がいなかったら、こんなに家族と一緒にいなかった。パパにとって百々果は“命”だった。私は核家族が多い中、“サザエさん一家”に憧れていた」と語る。
さらに、「じっじ(辰夫さん)は何でも買ってくれた。タコと遊びたいって言ったら、タコが家に(笑)」(百々果)、「百々果が金魚すくいがしたいって言ったら、大きなプールを買ってきて、100匹くらい放していたよね(笑)。何でもかんでも買わないでって言ったら、『おまえひがんでいるんだろう』って」(アンナ)と話す。
辰夫さんは百々果の送り迎えも「俺が行く」と率先して育児に参加していたそうで、百々果が幼稚園くらいのときにプールで溺れかけた際、辰夫さんが1番に飛び込んだというエピソードも紹介。
「1番愛情が深かったわね」(クラウディア)、「海水浴に行っても、4~5時間でもずっと私を見張っているの。『おーい、ももー。こっちにおいでー』って」(百々果)としみじみ。
東京都内のインターナショナルスクールに通う百々果は、高校生活を「超楽しかった」と振り返る。
日本の厳しい学校に通ったアンナは、俳優の娘として“色眼鏡”で見られていたと感じ、百々果の学校選びには慎重になったという。
百々果は今、アメリカの大学を目指しており、キャンパスライフを今から楽しみにしているという。アンナが「芸能界に興味は?」と聞くと「ない」ときっぱり答える百々果。その理由が、初めて明かされる。
また、アンナと百々果が「芸能人一家に生まれてうれしかった」という超大物有名人に会えたエピソードをそれぞれ明かし、懐かしむ場面も。
百々果が、父親がいなかった生活を振り返りつつも、「じっじがいたから、100%お父さんがいなかったというわけではない」と力強く語った。
梅宮辰夫さんの人柄について語る
アンナが「家で男がパパだけ。犬も全部女の子。でも、男1人でも大丈夫なのよね。いつもロマンチストだった」と語るほど、あらゆるものへのこだわりが強かったという辰夫さん。
カレーやしゃぶしゃぶ用の肉の盛り付け1つでも「丁寧に!」とよく怒られていたそうで、雑誌を切り抜き作ったオリジナルのレシピ本は18冊になるという。
アンナは「梅宮辰夫という人は、こだわり抜いていて、好きなことをやっていて、人から愛されていたんだな。本当に几帳面、真面目、約束は破らない。待ち合わせは、いつも15分前だった。亡くなって、みんなが『良い人だったよね』と言ってくれる。ありがたいです」と話す。
そして「私は、何もしなくて良かった。ご飯一つかき回すのさえ嫌だったのね、うるさかったよね(笑)」(クラウディア)、「マミーが大好きだから結婚したんだよね、『お帰りなさいませ』っていう奥さんは絶対嫌だ。待たれるのも嫌って言っていた。ママたちを見ていて、結婚は良いなとも思った」(アンナ)と、辰夫さんの“夫”としての一面も紹介。
話はアンナの恋愛にも広がり、百々果が母の恋愛について感じていることを厳しくコメントする場面も。百々果から「良い恋愛はあった?」と尋ねられたアンナからは、意外な答えが飛び出す。
毎週日曜朝7:00-7:30
フジテレビ系で放送
※梅宮クラウディア、梅宮アンナ、梅宮百々果は2月16日(日)に登場
▼公式サイト
https://www.fujitv.co.jp/jidai/
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