「M−1グランプリ」で話題!ぺこぱインタビュー「一緒に伝説を作ろうとお笑い界へ誘いました」(松陰寺)【前編】
着物&ローラーシューズと、農民の格好で漫才を
初期は「先輩・後輩」というコンビ名で活動していた2人。しかし2013年、現在の「ぺこぱ」に改名する。
松陰寺「コンビ名を変えたいという話が出て、お互いに候補を出しあったけど、全然まとまらない」
シュウペイ「僕は好きだった175Rの曲『GLORY DAYS』から、『GLORY』というコンビ名がいいと言ったんです」
松陰寺「絶対に嫌だ!と俺は思って(笑)。“エントリーナンバー8、GLORY!”と言われて、舞台に出たくないもん。僕は僕でCHAGE and ASKAの曲名『指環が泣いた』を推したけど、ダメで」
シュウペイ「そっちの方がおかしいでしょ(笑)」
松陰寺「最終的に、僕らが2010年に所属したオスカープロモーションの先輩である赤井沙希さんが、“ぺこぱがいいんじゃない?”とアドバイスしてくれて、それにしました」
シュウペイ「沙希さんに感謝です」
松陰寺「確か、箸袋の裏に『ぺこぱ』と書いて “これ、どう?”と言ってくれたんだよね。当時韓国語にハマっていた沙希さんが、言葉の響きがかわいいからって。お腹が空いた、という意味だそうです。ウィキペディアで“本当はコンビ名に『ん』を入れたかったので、『ぺこんぱ』などの名前は冠番組用に取ってある”と記載されているんですけど、そんな発言をした覚えはありません。すんなり、『ぺこぱ』にしようと思いました」
このあたりから、松陰寺のキャラづけが始まる。
松陰寺「一時期はホストっぽいファッションをして、キザキャラに扮していました。相方から衣装を借りたんですけど、その中にメッシュのトップスがあって、着方が分からないから素肌の上にそのまま着ちゃった。“乳首が出るんだけど、これは合っているのか!?”と(笑)」
シュウペイ「タンクトップに重ね着する用の服だよ!」
松陰寺「僕はファッションに全く興味がないんです。高校生のとき、“私服がダサイ”という理由でフラれてますから。バイト先のマクドナルドで出会った好きな子と映画へ行くことになり、それまでお互い制服姿しか見たことなかったけど、初めて私服で会うことになって。緑のズボンにオレンジのフリースを着て、小さめの登山リュックを背負って行ったら、帰り際にフラれました(笑)」
シュウペイ「ホスト風の次は、松陰寺さんが着物姿でローラーシューズを履くようになったんだよね」
松陰寺「ローラーシューズを履いたのが、先だったっけ。“ローラーシューズで何かネタができないかな”と考えて、ソフトボールのピッチングフォームを構えるんだけど、投げずにローラーシューズでスーッと進むというギャグが、なぜか2人ともツボにハマったんだよね。これをどうにかネタにできないかと、2人で野球のユニフォームを着て『絶対に打てない魔球』という10秒のネタを作り、『うつけもん』(フジテレビ系)という深夜のネタ番組のオーディションに持っていったら、受かったんです。初めてテレビでネタを披露することができました」
さらに女形の着物を着て、“和服姿でローラーシューズを履き、舞台を走り回る”という謎のキャラになった松陰寺。
松陰寺「WAHAHA本舗の喰始(たべ はじめ)さんが、ネタ見せで“女形の着物を着た方がいい”とアドバイスをくれて。浅草にあるお店まで指定されたので、中古の着物を買ったんです。それでネタをやってみたらウケたので、さすがだなと思って。すると次のネタ見せで、普通の格好をしていた相方が“原始人の格好をしなさい”と言われました」
シュウペイ「それはさすがに…と思ったら、“じゃあ、農民みたいな感じで”と言われたので、首元にタオルを巻き、Tシャツとももひき姿で出たんです。スベり倒しましたよ」
松陰寺「そのネタはもう二度とやりませんでした(笑)」
インタビューは【後編へ】
ぺこぱ略年表
2008年 「先輩・後輩」という名でコンビ結成
「ナイスデイ」という事務所に所属するも、すぐフリーに足を高く挙げるツッコミスタイルの漫才を始める。初めて
のライブ出演。
2009年 BL(ボーイズラブ)のコント・漫才を始める。
2010年 オスカープロモーションへ移籍。
HIPHOP漫才を始める。
2013年 「ぺこぱ」に改名。松陰寺がホスト風キザキャラの漫才を始める。
2014年 松陰寺が和服にローラーシューズでステージを動き回るようになる。「うつけもん」に出演。
2018年 現在の漫才スタイルの原型が完成。
2019年 「おもしろ荘」優勝。サンミュージックへ移籍。「M−1グランプリ」3位。
2020年 今に至る。
取材・文=篠崎美緒