DJ KOOインタビュー#2 伝説の“小室スタジオ”では「TRFがレコーディングする側で、篠原涼子ちゃんや安室奈美恵ちゃんが…」
目指していたのは「みんなが主役になれるような曲」
――そこから90年代はTRFとして精力的に活動されていくことになりますが、そういった中で強く印象に残っている出来事や、思い出深いエピソードがあれば教えてください。
DJ KOO:それまでいろんな音楽の仕事をやってきたんですけど、いい時も悪い時もありつつ、なかなか世間の人に自分が関わった音楽を知ってもらえることって無かったんです。
でも「EZ DO DANCE」が出た時に、うちの奥さんが「『EZ DO DANCE』みんなカラオケで歌ってるよ!」って教えてくれて、そこで「ああ、俺もメジャー感のある所に来たんだな」っていう感覚はありましたね。
それまではクラブやディスコで活動していましたから、やっぱりアンダーグラウンドでずっとやってきた感覚とは違うところが見えましたね。
――ある意味では、それまでやられてきたことがそのままメジャーな領域でも通用したと言えると思いますが…。
DJ KOO:そこはやっぱり、小室さんの力があったからこそですよね。「EZ DO DANCE」ができるまでに、しょっちゅう小室さんと一緒にカラオケ行ってましたから。
もちろん歌いに行くわけじゃないんですよ(笑)。でも、当時カラオケってめちゃくちゃ流行っていたじゃないですか。なのでみんなを集めてカラオケに行って、いかに曲が流れた時にみんなで盛り上がれるか、っていうことを見ていたんでしょうね。
――「曲の盛り上がり方」を見ていたと。
DJ KOO:そうです。歌っている人がいる一方で、お酒を飲んでいる人がいて、友達と話している人がいて、っていうのが当時のカラオケじゃないですか。でも、小室さんはそうじゃなくて、「みんなが一つになれるカラオケ」(を目指していた)。
なのでTRFの曲って、サビの前になると「サビが来ますよ~」っていう感じの音が入って、サビは必ず「Yeh,yeh,yeh,yeh,yeh Wow,wow,wow,wow♪」みたいにみんなで手を振ったり、「Survival Dance!」「フゥ~!」と掛け声をかけたり、初めて曲を聴く人や酔っ払っている人でも盛り上がれる形になっていて。みんなが主役になれるような楽曲を小室さんは考えていたみたいですね。
「いろんなスタジオから次々名曲が生まれるのを体験」
――TRF時代の楽曲制作に関しては、作詞作曲アレンジまですべて小室さんがやられていたと思いますが、KOOさんは当時製作にどの程度関与されていたのでしょうか?
DJ KOO:実際小室さんが全てやられていて、僕はデータの直しであるとか、トリートメント作業のようなことをアシスタント的にやっていましたね。でも、その場にいられて小室さんがやられていることをリアルタイムで見ながら過ごして来れたというのは、本当に貴重な体験でしたね。
最初は小室さんが外部のスタジオでレコーディングしていたんですけど、そのうち「プライベートスタジオを作りたい」と仰ったんです。それで一緒にいろんなスタジオのミキサーとかを見てきて機材を選んで、小室さんのプライベートスタジオを作って。そこで最初に作った曲が、TRFの「BOY MEETS GIRL」だったんです。
そのうちに“小室ファミリー”が世に出だしてきて、一つだったスタジオが二つになって、三つになって、ワンフロア全部がスタジオになったんです。終いには、クラブ系のシステムがある部屋も作って、そこで実際に音を鳴らしてみて。曲がどんな感じか、みんなで楽しめる状態になっているかとか、そういうのを試すクラブルームまでありました。
その頃は、TRFのレコーディングをしながら、他のスタジオでは篠原涼子ちゃんが「恋しさと せつなさと 心強さと」をレコーディングしていて、globeのKEIKOが歌詞の打ち合わせをやっていて、安室奈美恵ちゃんが、その頃は「BODY FEEL EXIT」だったかな? それを歌っていて…っていう状態です。
――当時それらの曲を聞いていた身としては、夢のような空間です…(笑)。
DJ KOO:いろんなスタジオでそういう曲が次々と生まれていくのを、文字通りゼロから体験しているので。そうして小室さんのそばにいられたことが何よりも貴重でしたね。
発売中
価格:2,000円(+税)