甲斐バンド・甲斐よしひろが語る“生半可じゃない”ヒューマンドラマ『グリーンブック』<ザテレビジョンシネマ部>
映画を愛する著名人や映画評論家がおすすめの映画作品を紹介する“フィルムガレージ”。今回は日本を代表するロックバンド、甲斐バンドのボーカル、甲斐よしひろさんにお越しいただきました。
──映画はどのくらいの本数を観られているのですか?
甲斐よしひろ(以下、甲斐)「3日に2本。20年以上、ずっとそういうペースですね。自宅で観る方が多かったんですけど、ここ10年くらいは映画館に行くのにもハマっていて。マネージャーや家族と行きやすい映画館を見つけたので、それからは一日で2本観たりする日もあります」
──好きなジャンルや影響を受けた映画はありますか?
甲斐「A級、B級、C級、全部好きなので、特に好んで観るジャンルはないです。今まで触れたもの、全ての映画に影響を受けていると思います。映画は僕にとって、色んな生き方があって、さまざまな愛情のかたちがあって、それから色んな人たちがいるんだっていうのを見せてくれるものだから。そういう意味で、全般です」
──今回、そんな甲斐さんにキュレーターとして選んでいただいたのが『グリーンブック(2018)』(4月17日[金]午後2:15 WOWOWシネマほか)。1960年代、天才黒人ジャズ・ピアニストのドクター・ドナルド(ドン)・シャーリーと、彼に運転手兼用心棒として雇われた粗野なイタリア系白人、トニー・“リップ”・ヴァレロンガが、人種差別が残る南部での演奏ツアーに挑んだ実話を基にしたヒューマン・ドラマです。ドンを『ムーンライト(2016)』のマハーシャラ・アリ、トニーを『イースタン・プロミス(2007)』のヴィゴ・モーテンセンが演じ、第91回アカデミー賞で作品賞と助演男優賞、脚本賞を受賞しています。
甲斐「この映画の何がいいかっていうと、1962年のニューヨークで、当時の流行歌手、ボビー・ライデルがコパカバーナ(トニーが用心棒として働いていた実在のナイト・クラブ)で歌うシーンから始まる導入部から素晴らしい。そこで働くトニーが客を殴る展開からも、60年代前半の雰囲気と、その場の臨場感がよく伝わってくる」
──用心棒のトニーがクラブ内で揉めていた客を追い出して殴るシーンですね。
甲斐「その後すぐにコパカバーナが閉店することになって、仕事を探していたトニーがカーネギー・ホールの上に住んでいる天才的ピアニスト、ドン・シャーリーの運転手になる。彼は腕っぷしの強い運転手を必要としていた。60年代前半のアメリカ南部っていうと、本当に危険なツアーになるからね。ドンがトニーを雇うことになり、その道しるべとなるのが、黒人が安全に旅できるガイド・ブック“グリーンブック”。映画が始まって10分そこそこで、この映画の背景が全部、説明されなくてもわかるんだ。素晴らしい脚本だと思う」
──脚本を担当しているうちのひとり、ニック・ヴァレロンガはトニー・リップの実の息子です。
甲斐「トニー・リップには息子が2人いて、次男が脚本と製作を務めてるんですよね。ドン・シャーリーに映画化を持ち掛けると『俺が死んだら撮っていい』っていう、いわばお墨付きをもらっていた。トニーとドンは同じ年に亡くなってる。それも数カ月違いで。そういう話を全部知った上で観ると、なおさらよくできてるなって思います」
──実話ならではのリアリティがあります。最初は物語がコメディ・タッチで進みますが、後半になると、前半で笑っていた私たちは間違っていたのではと思わせるシーンもありますね。
甲斐「そう、それが最高で。“当たり障り”があるんですよね。ヒューマンドラマってみんなよく言うけど、日本は当たり障りのないエピソードをつないで、穏便に終わらせるヒューマンドラマが多いじゃないですか。当たり障りがあるエピソードをつなぎながら、多彩な伏線を張って、しかもそれを見事に裏切っていくっていうのが、本当のヒューマンドラマだと思うし、本作で『今のハリウッドの映画はこうなんだ』っていうのを見せつけられた感じ。前年のアカデミー賞受賞作『スリー・ビルボード(2017)』(主演女優賞、助演男優賞)もすごいと思ったけど、『グリーンブック』は最高峰だね。しかも、全編あれだけ南部の綺麗な景色が楽しめて、そうじゃない場面では腕の立つピアノが聴ける。最後は見事に僕らの期待を裏切っていくシークエンスが続いて、そこからのエンディングは…さめざめと涙が出る映画もいいんだけど、この映画はあまりに感動して、声が出なかったです」
──音楽も支柱となっていた本作。ミュージシャンである甲斐さんから見て、音楽シーンはいかがでしたか?
甲斐「ドンのピアノも、プロの僕から見ても非常に素晴らしい。クラッシックとジャズを融合させた、当時としても革新的なスケールを繊細で大胆なタッチでプレイしていて、毎曲、すごいなって感心しました。監督もよくわかってますよね。ファレリー兄弟の兄貴(ピーター)の方でしょ? 『ふたりの男とひとりの女(2000)』とかの。あんなおバカ映画しかつくってない彼に任せてみせたのが、まず素晴らしい」
──話題を集めた『ジョーカー(2019)』のトッド・フィリップス監督も、『ハングオーバー!』シリーズ(2009~2013)を手掛けています。
甲斐「実は、コメディをつくってる人の方がシリアスな映画も得意だったりするんだよね。コメディアンって、シリアスな演技やらせたらめちゃくちゃ上手いじゃないですか。それと一緒で。いかに人を笑わせるかっていう点で、コメディって、監督も演じる方もすごく難しいんだと思います」
※編集部注:ここから先はネタバレを含みますのでご注意ください。
──大絶賛の本作ですが、甲斐さんの特にお気に入りのシーンとかありますか?
甲斐「留置場から出たトニーとドンが、車の中で喧嘩するシーンがあるじゃない?」
──トニーが裕福な生活を送るドンに「俺はあんたより黒人だ。あんたは黒人を知らない(中略)俺は裏町、あんたはお城。俺の世界の方が黒い!」と言ったのに怒ったドンが、車から飛び出して「私は独りで城住まいだ! 金持ちは教養人と思われたくて私の演奏を聴く。その場以外の私はただのニガー。それが白人社会だ。その蔑視を私は独りで耐える。はぐれ黒人だから。黒人でも白人でもなく、男でもない私は何なんだ?」と叫ぶシーン。ドンの悲痛な思いが伝わってきました。
甲斐「あそこが、この映画のいちばん言いたかったところだと思うんですよ。ドンははぐれ黒人ってだけじゃなく、実はゲイでもある。そこからの『黒人でも白人でもなく、男でもない私は何なんだ?』っていうあの言葉は、今の世界に生きている僕らにも、いちばんリアルに伝わる心情ですよね。近年、LGBTについて盛んに取り上げられているけど、大多数の側の人間だけを見ようとしても、この世界は何も面白みがないじゃないですか。色んな人たちを理解しながら、色んな人たちを自分のなかに迎え入れて共に生きていくというのが、今のこの複雑な世界でいちばん必要なことだと思うので」
──そうですね。やっぱりアカデミー賞で賞を獲る作品は、「楽しい」とか「面白い」だけではなくて、今アメリカで起こっている問題を、ハリウッドの映画人たちが作品を通して提示しているような気がします。本作も1960年代を舞台に、当時の事実を見せながら現代の問題を考えさせようとしていると思われます。
甲斐「そうだと思います。映画が大ヒットする要素っていうのは、どれだけ時代と“寝ない”で、時代と向き合えているかだと思うので。そういった意味でこの映画は、当時の人種差別を再現しながら、今の時代にも共通する切り口をもって、爪を立ててやるっていう意識がある。生半可なヒューマンドラマじゃないですよね」
──最後に、そんな『グリーンブック』、甲斐さんはどんな人に観てもらいたいですか?
甲斐「僕は今、世界中が他者との間に壁をつくってると思ってる。この映画を観て、陽気で家族と一族を愛するイタリア人のトニーと、はぐれ黒人であるドン。2人がどんどん心を通わせて迎える結末に、“壁をつくるのは簡単だけど、分かち合っていくことの素晴らしさ”っていうのを改めて感じたんです。こういう作品を、若い人にもぜひ観てほしいなって思いますね」