映画監督・大林宣彦さんが死去 最新作公開予定だった4月10日に自宅で
そんな大林監督が肺がんと診断され、余命の宣告を受けたのは、2016年8月。転移を繰り返すがんと闘いながら、自らの命を削って、平和をたぐり寄せる映画を完成させた。
大林監督の最新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は、本来であれば4月10日に公開を予定していたが、新型コロナウイルスの影響により映画館が休館し、公開延期となっていた。
“尾道三部作”で知られる大林監督が再び尾道とコラボレーションする、何でもありの反戦エンターテインメントである同映画は、映画愛、故郷愛、人間愛といった少年時代から積み重なった大林監督の思いが、約3時間のミュージカル、アクション、SFと、ポップでカラフルな合成画面という形で目まぐるしく繰り広げられていく。
なお、大林監督は2019年秋には東京国際映画祭に車椅子姿で登壇し、「特別功労賞」を受賞。贈呈式では、トロフィーを贈呈した安藤裕康チェアマンから「以前、あと30年は映画を撮ると言っていたけど、先日は35年に延びていた。今日はあと40年と言ってほしい」と言われ、穏やかな表情で「2000年でも、3000年でも」と宣言し、会場を沸かせていた。
そして、近日公開予定の映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」に向けてのコメントは以下の通り。
大林宣彦監督コメント
「自由に生きよ、それが平和の証だ」と父に言われ、当て所も無く18歳で上京した僕に、形見代りに持たせてくれた8ミリ映画を用い、銀座の画廊の一角で自作の8ミリ映画を上映した所、「新しきフィルム・アーチスト誕生」と世界から認定され、以降60年間テレビCM演出を資金に個人映画を創り続けて来ました。
東宝映画からの招きで、門外漢が初めてメジャーの撮影所内で撮った「HOUSE/ハウス」から、ジャンルを選択すれば如何なる純文学も商業映画になり得ると学び、あの太平洋戦争の純真な軍国少年であった体験を元に、様々なジャンルの映画にその思いを潜めつつ「厭戦映画」を作り続けて来ました。
「売れない作家の女房になる覚悟」で61年間、僕の映画を支え「私が最初の観客よ」と世界と僕の映画を結びながら共に生きて来た大林恭子と、11歳で「HOUSE/ハウス」の原案者に名を連ねた長女千茱萸、ご亭主の絵の作家森泉岳土、そして親しい旧・新の世代の仲間たちと、今日も映画作りに励んでおります。
時代はいつか、個人映画ばかりになり、僕が願った映画作りの世になりました。その個人の自由と権力者の不自由の証を、愉しんで下されば、と。僕の正体が炙り出されれば、愉しいかな。
近日公開
配給:アスミック・エース
(C)2020「海辺の映画館—キネマの玉手箱」製作委員会/PSC