「世界にひとつのプレイブック」と「劇場版 FFXIV 光のお父さん」が映し出す、人との距離間と絆<ザテレビジョンシネマ部>
第16回は、過去にとらわれ自分を見失ってしまった男が他者との関わりによって自分を取り戻していく『世界にひとつのプレイブック』と、父親との関係性や理解を深めるためにオンラインゲームを駆使して奔走する息子の姿を通し、親子の絆を描いた『劇場版 ファイナルファンタジーXIV光のお父さん』をマリアージュ。
『世界にひとつのプレイブック(2012)』
『世界にひとつのプレイブック』(7月20日(月)朝4:45、WOWOWシネマ)は、第85回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、ジェニファー・ローレンスに主演女優賞をもたらしたデヴィッド・O・ラッセル監督作。躁うつ病を患い精神病院を退院したばかりのパット(ブラッドリー・クーパー)は、元妻との復縁に執着するあまりトラブルを起こしてばかり。そんな折、友人の義妹で、事故で夫を亡くし心に傷を負ったティファニー(ジェニファー・ローレンス)と出会い、復縁に協力してもらう代わりにダンス・コンテストへ参加することに。衝突を繰り返しながらも互いに歩み寄っていく男女の姿を通し、他者と本気で関わること、理解し合うことの大変さや価値をつづった作品です。
自分を知ること。それは他者とのつながりの中で機会を得られるもの。他者と関わっていく中でさまざまな感情を抱き、己の良い面も悪い面も含めて、自分がどういった人間なのかを自覚する。つまりは、相手と本気で向き合わない限り、己の新たな一面に気が付く機会も、変化の兆しも見いだせない。しかし、パットは両親や友人、医師や警察の言葉に耳を貸さず、接近禁止指令が出ている元妻しか眼中にない。目の前にいる相手と向き合わず、目の前にいない相手に心がとらわれてしまっている。そんな状態では、現状から抜け出すことなどできやしないし、思い描いた未来は訪れない。
ある程度の年齢に達してしまえば、誰かに深入りすることもされることも減っていく。人生における劇的な変化は望めなくなる。幸いパットには心配してくれる両親がいるが、親子という枠組みの中では、介入できる範囲と時間に限度がある。友人であっても、それぞれに家庭や生活があるため、他人の人生に責任など持てやしない。そんな中、パットは同質の痛みを抱えるティファニーと出会い、成り行きかつ嫌々ではあるものの関わりを持ち、互いに土足で相手の心に踏み込んでいく。だからこそ、次第に変化が起きていく。その過程にこそ、人間関係の何たるかが詰まっていた。
他者と深い部分でつながり合うまでには時間がかかる。時には相手を傷つけないと、相手の怒りに触れないと、気が付けないこと、歩み寄れないことがある。どんな形であれ、相手の心に触れれば、うれしい気持ちにもなるだろう。後ろめたい気持ちにもなるだろう。いとおしい気持ちにもなるだろう。その気持ちこそが自分という人間のアイデンティティーであり、その想いを抱いた上で何を選択するのか、どのように行動するのかで、いかようにも生き方は変わっていく。人生における価値ある瞬間は、決して自分ひとりだけで得られるものではない。本気で関わることのできる他者の存在こそ、希望の光になり得るのだということをこの作品は教えてくれる。