「ヒロスエブーム」からバッシングの逆風に
そんな中、高知の書店でオーディション雑誌を見つけ、芸能界を目指して応募し始めた。「数撃ちゃ当たる」と片っ端から受けようと考えていたが、一発目で合格!!
それが「クレアラシル」のテレビCM オーディションだった。14歳で高知県から上京しそのCMでデビューすると、1996年、前述のポケベルのCMで「ヒロスエブーム」を巻き起こした。当時、横浜から都内の高校に通っていたが、男子高生たちに囲まれまともに電車に乗れない状態。仕方なくグリーン車で通学するようになった。
1999年には早稲田大学に入学。あまりにも順風満帆な人生だった。しかし、その反動からか、この頃を境に風向きが変わっていく。3カ月間ほとんど大学に登校しなかったという、仕事とはまったく関係のない理由でバッシングが始まっていったのだ。
「故意に太る」選択が「人生の反抗期」
また、広末は2001年、フランスで製作された映画「WASABI」に出演。海外で仕事をしてみて、「日本の芸能界の矛盾」のようなものを感じるようになった。
「言い方悪いんですけど、汚れた世界に見えてしまって、芸能界自体が。なので、嫌だって思って。人に迷惑をかけずに、人を傷つけずにどうやったらお仕事を辞められるかなっていうのを考えました」(「サワコの朝」TBS系、2020年1月25日)。
そこで彼女が選んだのが「故意に太る」ということだった。ラーメンやクッキーを食べまくり、ビールや炭酸を飲み続け、15kg以上太ったのだ。太ると見られたくないし、動きたくなくなる。そうすると自然とさらに太った。「人生の反抗期」だった。