高校の三者面談のときだ。城田優は担任の教師から「授業中、友達と話している」と注意された。それを聞いた母は言った。「良かったです!高校に入るとき、ナーバスになっていたので友達ができて楽しくやっているのなら!」(「徹子の部屋」2017年12月12日)
「ケ・セ・ラ・セラ」の精神で肯定してくれるスペイン人の母
いつも「ケ・セ・ラ・セラ」の精神で陽気で前向きで常に息子たちを肯定してくれる母だった。母はスペイン人。スペイン人は特に家族を大事にし、たとえ離れて暮らしていても日曜日などには集まって食事をしたりするのだという。城田家も例外ではなく、家族みんな仲がいい。だから、よく城田が出演する舞台も家族で見に来る。客席から「ブラボー!」 という声があがったら、家族が来ている証拠だ。
城田は子供の頃から、ラジオDJの真似事をしてラジオ番組を作ったり、おもちゃや人形を使って物語を作ったり、ひとりでゼロからものを創るのが好きだった。11歳の頃には、クラスのお楽しみ会のために「やればできる」という曲を作詞作曲。 そうして自分が作ったものをみんなで歌うということの喜びを知った。
50回落ちたオーディション
13歳の頃に芸能界入り。オーディションなどに参加し始めるが、スペインの血を引いたエキゾチックな顔立ちと、14歳で既に180cmを超えていたという背の高さが逆に仇となった。最初の50回はすべて落ちた。「カッコ良すぎる」「背が高すぎる」「もう少し顔が薄ければね」などとハッキリと言われたという。海外からの転校生のような役どころでしか使えないというのだ。「君みたいな人はいないんだよね」と。
実際に自分は日本の学校に普通に存在している。にもかかわらず、いないことにされてしまった。容姿という変えようもない部分で自分の存在を否定されてしまう。しかも、自分が目指す世界の偉い人たちに。それがショックだった。そんなときでも母は「そんな人たちの言うことなんて気にしなくていいのよ、あなたは」と励ましてくれた。