<しくじり先生>人気講師・カズレーザーが登場!マヂカルラブリーもオードリーも“現代アート”だった
ゴミと間違えられた作品も
今回、現代アート界で起きたしくじり事件を題材に授業を展開する中で、最初にカズレーザーが紹介したのは、2015年、イタリア北部の美術館で起きた「ボルツァーノ美術館新進気鋭アーティスト大激怒事件」。この美術館には、ゴールドシュミート&キアリという女性2人組アーティストのアートが展示されていたが、展示から数日後、ゴミと間違えられて片付けられてしまったという。
彼女たちのアートは、シャンパンの空き瓶や使い終わったクラッカーなどを丸々ひと部屋に配した作品で、また、実際に展示会初日にオープニングパーティーが開かれていたことから清掃員が勘違い。2人は「ひどい出来事だ!」と大激怒したという。
カズレーザーは、なぜゴミと勘違いされるようなものに価値があるのか、それこそが現代アートに価値が生まれる3大要素のひとつだと解説。つまり現代アートは、“インパクトのある話題性”が評価される。今まで誰もやっていないインパクトのある手法と、その話題性が評価されるのだと話す。
マヂラブもオードリーもハライチも現代アート
なぜ美しさより話題性が評価されるようになったのか。カズレーザーいわく、そのきっかけは“現代アートの父”と呼ばれるマルセル・デュシャンが1917年に発表した「泉」という作品にあるという。「泉」は既製品の便器に架空の人物のサインを描いただけの作品で、これは芸術なのか議論が巻き起こり、作者がデュシャンだとわかるとさらに論争が過熱した。
カズレーザーは、マルセル・デュシャン以前のアート界では「見た目の美しさや高度な技術こそがアート」という価値観だったのに対し、デュシャン以降は「目に訴えかける美しさだけがアートじゃない。脳に訴えかけるインパクトこそがアート」というように基準が変わってきたと分析。
その構造をお笑いに例えると、漫才なのにほぼしゃべらないというインパクトのある手法で「M-1」チャンピオンとなったマヂカルラブリーも「“漫才論争”が起きた時点で現代アート」と断言。
ほかにも「演奏しないビジュアルバンド・ゴールデンボンバー」や「大御所にもため口でグイグイいくフワちゃん」「大人数のアイドルの選挙をエンタメにしたAKB48」もアートだと説明した。
「漫才じゃない」との声が起きたこともあったオードリーの“ズレ漫才”や、ハライチの“ノリボケ”もアートだと指摘するが、平成ノブシコブシ・吉村崇だけは「…なんかありましたっけ?」と真顔。吉村は「おれは芸人じゃないっていう論争が起きてる」と自虐で教室を沸かせた。