俳優、声優、YouTuberとして幅広いフィールドで活躍中の染谷俊之の魅力に迫るWEBザテレビジョンの新連載「月刊染谷WEBマガジン」がスタート。毎月、深掘りインタビューを敢行し、仕事の近況からプライベートまで、事務所NGギリギリの質問をぶつけて“染様(染谷俊之の愛称)”を丸裸にします。記念すべき第1回のテーマは「青春」。幼少期から学生時代の思い出、そして芸能界入りの経緯について詳しく聞きました。
子どものころは習い事をたくさんしましたが、どれもすぐ辞めていた(苦笑)
──神奈川生まれ、東京育ちの染谷さん。どんな子どもでしたか?
お兄ちゃん子でしたね。3歳上の兄がいるんですけど、小さいころはお兄ちゃんと一緒に遊ぶことが多くて、ずっと後を付いて行っていた気がします。兄弟ケンカもしましたけれど、どうしても勝てない。でも今思うと兄はすごく面倒見がよかったと思います。自分の友達と遊ぶときも僕のことを連れて行ってくれたし、お兄ちゃんの友達と遊ぶのも大好きでしたね。もちろん同年代の友達とも遊んでいましたが、お兄ちゃんたちがすごく大人に見えてカッコいいと憧れていました。
──子どものころ、習い事はしていましたか?
たくさん習っていましたね。でもどれもすぐ辞めていた(苦笑)。剣道を習っては辞めて、野球を習っては辞めて、あとは水泳、習字、器械体操…。
でも唯一、ボーイスカウトだけは長続きしたんですよ。幼稚園のときに入って、小学6年生までやっていました。なんで始めたんだろう? たぶんお兄ちゃんがやっていて、キャンプとかに行っているのがすごく楽しそうに見えたからだと思います。
──中学・高校のときは部活動をしていましたか?
6年間バレーボール部に入っていました。中学のときはけっこう強くて、区大会を勝ち抜いて都大会まで進みました。高校はそんなに強くなかったです。ポジションはレフトアタッカーでした。
(始めたきっかけは)僕、子供のころ、周りからジャンプ力がすごくあると言われていたんで、「それならバレーボールでもやってみようかな」という単純な理由だったと思います。中学のときは顧問の先生がすごく厳しい方で、練習がきつかったですね。でもそこで鍛えられた精神力が今も生きていると思います。