タレント・女優として活躍し、昨年は初のエッセイ集『母』が話題となった青木さやか。『母』に描いた自身の母との関係に悩んだ過去を乗り越え、現在は中学生になった娘を育てるシングルマザーである。第8回の今回はクリスマス編。「サンタさん」をめぐる思い出と娘とのエピソードをお届けする。
「サンタさん」といえば思い出すプレゼント
「サンタさん、何時頃来るかなあ?」
中学1年生の娘がまっすぐにわたしを見つめて聞いてきた。
「そうだねえ、寝てからじゃないですかね」
「寝てなくて、帰っちゃったら、どうしよう」
「では、その日は早く寝たらいいんじゃないでしょうかね」
そうだね、そうする、と、絶賛反抗期中の娘が珍しく素直に頷いた。
中学1年生女子。まだサンタさんの存在を信じていることにわたしは驚いた。誰も娘に、「サンタさんはいないよ」と伝えなかったということか。ありがたい話である。
そういえばわたしは、いったい何歳までサンタさんを信じていただろうか。忘れてしまったが、友人たちが「サンタなんていないよね親だよ親」という話を聞いて、そうだよね、と思いはじめた。うちの親は準備不足というか抜かりだらけで、12月に入ったころ居間の押入れを開けると、座布団の重なっている上にお歳暮でいただくタオルの箱が積み上げてあり、そのまた上に、明らかにクリスマスプレゼントであろうものが置かれていた。わたしはそれを親にバレぬようもっと奥に隠し、弟の目に触れないように長女として努力した。クリスマス当日は親が枕元にプレゼントを置くところを薄目を開けてみていた。親がいなくなり階段を下りていくのを見計らって、プレゼントを夜中に開けていた。そうそう、これこれ、ずっと隠してあったプレゼント、と思いながら。そう考えると中学1年生の時には、既にサンタ=親だと思っていたような気もする。
まだサンタさんを信じていた小学校の頃、うちに煙突がないからサンタさんが入って来られないのではないかと心配していた。それに、うちの屋根は斜めについてる瓦だから、トナカイが滑ってしまうのでは、と心配した。心配することはなく、サンタさんは、毎年うちにも来てくれた。
ある年のこと。わたしは、どうしても「人生ゲーム」が欲しかった。タカラトミーのボードゲームのことである。盤ゲームといえば、サイコロを振っていかに早くゴールを目指すかという、いわゆる”すごろく”式のゲームしか存在しなかった当時、”人生”というテーマ、自分を表すピンを刺した自動車型のコマ、ボード上の立体的な山や建物、ドル札を模したおもちゃの紙幣のやり取り、そしてなによりサイコロの代わりに回すルーレットは画期的であった。友人宅にあった「人生ゲーム」に、なにしろ夢中になったものだ。
わたしは、12月に入ってすぐにサンタさんに手紙を書いた。
「サンタさんへ。人生ゲームがほしいです」。
12月25日早朝。まだ暗いうちから、目が覚めた。隣には大きなプレゼントと、ダンボール紙でできているサンタさんの靴下に入っているお菓子が置いてあった。プレゼントは、まさに、ボードゲームの大きさである。
わたしは、嬉しくて、興奮して、カサカサと音を立てながらリボンをとり、中身を取り出した。現れたのは人生ゲームではなく、人生なんたらゲーム、という、人生ゲームの二番煎じみたいなボードゲームであった。それは、思っていた人生ゲームとはまったく違っていて、ああサンタさんにもっとしっかりと手紙を書けばよかった、タカラトミー社のです、と書けばよかった、と悔いた。その人生なんたらゲームは全然おもしろくなくて、そのゲームをするたびに悔いたが、何度も何度も、つまらないゲームをやるはめになった。
弟は、その年、頼んでもいないホッピング(木の棒の上部を取っ手とし、下部に強力なスプリングをつけ、その上に踏板をのせた遊び具のこと)が枕元に届き、びっくりしていた。
思い返してみると、サンタさんからのプレゼントはわたしたち姉弟が希望したものとは、いつも若干ズレていた。「そのサンタさん新人なんじゃないの?」とか「海外から来るからなかなか覚えられないんだと思う」とか、母は言っていた。なんだその言い訳は、とも思うが、忙しいなかデパートまで興味のないゲームを買いにいってくれたのであろう。今みたいにAmazonポチという時代ではない。昭和50年代。父母なりに、頑張ってくれたのだと思う。
1973年愛知県生まれ。大学卒業後、フリーアナウンサーを経てタレントの道へ。「どこ見てんのよ!」のネタでバラエティ番組でブレイク。2007年に結婚、2010年に出産。2012年に離婚。現在はバラエティ番組やドラマ、舞台などで幅広く活躍中。
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