90年代黄金期の新日本プロレスでグッズ売り上げNo.1!
90年代の新日本プロレス黄金期を支えたのは興行売り上げだけではない。年商40億円の時代、グッズの売り上げが10億円を占めていたというのだからその人気ぶりが伺えよう。
その中で、圧倒的人気を誇っていたのが武藤&ムタ関連商品だ。それを物語るエピソードのひとつが、『闘魂Vスペシャル』の売れ行き。89年1月から93年3月までは、新日本プロレスを中継する『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日系)の放送が土曜日の夕方4時からだった。
そんな時代の救世主が、ノーTVのビッグマッチをメインに収めたビデオシリーズ『闘魂Vスペシャル』だった。中でもよく売れたのがムタの試合。売上記録を持つのが、92年8月16日福岡国際センターでのvs長州力戦と言われている。
気になる試合内容だが、ムタは長州の顔面に毒霧噴射で視界を奪った後、ビール瓶で頭を殴打。場外マットを剥がしたコンクリートの床にフェースクラッシャーを決めて大流血に追い込んだ上でムーンサルト2連発で勝利。新日本プロレスの至宝、IWGPを初戴冠している。試合後には消化器を噴き散らすなど、大先輩相手にやりたい放題。ちなみに、次点はvs獣神サンダー・ライガー戦だという。
武藤敬司とアントニオ猪木、プロレス観の違い
グッズはもちろん、観客動員の面でも90年代の新日本プロレスを支えた武藤だが、実質的オーナーのアントニオ猪木が推進する格闘技路線に反発。
自身の「プロレスLOVE」を最大限に発揮できる場を求め、02年2月には主力レスラー、中枢社員を引き連れてライバル団体の全日本プロレスに禁断の移籍。さらに、社長に就任することになった。
最大のピンチを迎えた新日本は、猪木の社長復帰も考えたが、猪木自身が突っぱねたといわれている。猪木の晩年には関係は修復しているが、“昭和の天才”猪木と“平成の天才”武藤、2人のプロレス観は水と油の関係だったようだ。
伝説の10.9vs高田延彦戦(95年)では、テレビ解説の猪木が不満げだったのが印象的だ。これは武藤の入場パフォーマンス(ガウンをパッと開いて見栄を切る姿)が「決闘」の場にふさわしくないこと、試合自体も殺気が足りないことに対しての苛立ちだったといわれている。
天下の猪木を手玉に取り、また本気で怒らせたレスラーは武藤以外にいるだろうか。それだけ、武藤の才能に脅威を感じたということだろう。武藤は猪木のことを「主義主張が違う」「反面教師」と語る。しかし、「俺の師匠は猪木さん」「おそらく俺だって猪木信者なんだよ」とも。
過去、東京ドームで自分の名前を冠にして引退興行を開催したのはアントニオ猪木ただ一人である。そして、武藤がこれに続く。しかも、「10.9」と同じく、プレミアムすぎる大会だからこそ可能な平日開催。
武藤のモットーは、「昨日の武藤敬司に今日が勝つ」。歴史に残る引退試合を期待したい。
文=バーグマン田形
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