多忙の末の休業
やがて「二十代は本当にもがき苦しみました」(同)というように役者として壁にぶつかる。娘役から脱皮して大人の女性を演じられるようにならなければならないのに、自分で成長が止まってしまっているように感じた。スクリーンで自分の芝居を見るたびに自己嫌悪を感じてしまうほどだった。忙しすぎたのだ。
映画はもちろん、多数のテレビドラマを掛け持ちして撮影していたのだ。そしてついに声が出なくなってしまう。どんなに声を張っても、スースーと息の漏れるような声しかしなくなってしまった。結果、1年間休業することになった。
休業前はテレビドラマが仕事の主軸になっていたが、休業後はテレビドラマにはほとんど出演しなくなり、映画に活動の場をほぼ限定するようになった。その理由について吉永は、3時間ドラマを日本で初めて撮ったときに、王貞治が世界新記録を出すか出さないかとなり、新記録達成となればみんながそっちを見てしまうと感じたからだと語る。
そのとき、「テレビってそういうものなんだ。その瞬間、瞬間にインパクトの強いものを見るものだ」と思った。対して映画は100年単位で残るものだからそちらに専念するようになったという(「まつもtoなかい」2023年8月13日)。
「俳優としてもうちょっと成長したい」
まさに吉永小百合には、100年単位で残る品と美しさがある。中居正広から「欲とかはあるんですか?」と尋ねられ「欲はない」と前置きしつつも「俳優としてもうちょっと成長したいというのはあります」(同)と付け加えた。今年、123本目の映画「こんにちは、母さん」が公開になった吉永小百合。
本当は「120本で線引きしようかな」と思っていたが「何かズルズルと」続けてしまったという。今度は125本を区切りにしようかという彼女だが、いまだ向上心が衰えない彼女に「区切り」など訪れないに違いない。
文=てれびのスキマ
1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方」