国民的人気バラエティーの「笑っていいとも!」(1982~2014年)や「SMAP×SMAP」(1996~2016年)をはじめ、「ココリコミラクルタイプ」(2001~2007年)、「もしもツアーズ」(2002年~)など、フジテレビ系のヒット番組に数多く携わってきた演出家の名城ラリータ氏。タモリ、SMAPといった大物芸能人たちと仕事をする中で、バラエティー作りの面白さに目覚めたという彼の演出法や編集スタイルとは? ディレクターになるきっかけを与えてくれた木村拓哉とのエピソードや、今お笑いファンが最も注目する番組の一つ「全力!脱力タイムズ」(2015年~フジ系)の制作秘話を交えながら、笑いを生み出す演出家としての矜持や、テレビマンとしての今後の夢を語ってくれた。
「笑っていいとも!」は現場にいるだけでワクワクするような番組でした
――名城さんは、もともとバラエティー番組が好きだったんですか?
「今でも強烈に印象に残っているのが、小学生の頃に見た『夢で逢えたら』(1988~1991年フジ系)のオープニング。確か、サザンオールスターズの『女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)』がテーマ曲だったのかな。毎週ドキドキしながら見てました。
あと、僕は沖縄出身なんですけど、同時期に『お笑いポーポー』(1991~1993年RBCテレビ)という伝説的なお笑いコント番組が放送されていたんですよ。全編方言でやっている感じの沖縄ローカル番組。笑いのレベルとしてはどうだったのか…何とも言えませんけど(笑)、大好きだったんです。当時は、コントとは何かということも分かってなかったですけど、夢中で見てましたね」
――ということは、この業界に入られたときから、お笑い志望だったわけですか?
「そういう原体験がありますから、面白いものは好きでしたけど、どちらかというとバラエティー志向ではなく、ドラマっぽい感じの笑いというか、笑いの“作品”に携わりたいなと思っていたんです。だから、最初にADとして『笑っていいとも!』に参加したときは、『なんだ、バラエティーか…』って。今考えたら、何てことを思っていたんでしょうか(笑)。で、いざ始まってみたら、現場にいるだけでワクワクするような番組だったんですよ」
――どんなところにワクワクしたんでしょうか?
「『いいとも!』は生放送ですから、お昼の12時に始まって、必ず12時58分に終わりますよね。絶対に時間内に収めないといけない。だから、『番組を成立させないと』という意識で、いつも時間と闘っていたんです。それは新鮮な体験で、すごく楽しかったですね。結局、『いいとも!』のADは2年ぐらい務めたのかな」
――当時のタモリさんの印象は?
「タモリさんって、とにかく『何でも好きなようにやりなよ』って感じなんです。打ち合わせに行っても、『はい、はい、はい』で終わっちゃう(笑)。かと思えば、瞬間、瞬間で面白いと思ったことを選択して実行する方だから、とんでもない行動に出たりするんですよ、生放送なのに」
――例えば、どんなことを?
「僕はちょうどDAIGOさんがレギュラーメンバーになったときの担当だったんですけど、ちょうど人気が出てきた時期だったこともあって、スタッフとしては、彼にいろんなものを背負わせようとしたんですね。いわば、DAIGOをどうやって“いいとも風”に加工するかを考えたわけです。ところが、本番中のタモリさんはホントに自由で(笑)。スタッフのコンセプトを、その場の感性でどんどん壊してくるんです。しかも、そんなタモリさんに助太刀するかのように、爆笑問題の太田(光)さんまで悪ノリして大暴れ、という(笑)。結果、台本とは全く違う流れを作ってしまう。でもそのときに僕は、改めてバラエティーってすごいなと思ったんですよね」