バースデーイベントでは貴重な自作曲を披露
――これまでも含めて、楽曲に関して宮本さんから何かオーダーしたことはありますか?
楽曲制作や選定はやっぱりプロの方にお任せするのがベストだと思っているので、私の方から何か注文を入れるということはしていません。でも、好きな曲や理想のようなものは常々スタッフ方々と話していて、きっとそれが汲み取られて、今こういう楽曲が私に届いているんだと思います。それとは別に、レコーディングでは意見交換をしながら歌を作り上げていて、例えば「バンビーナ・バンビーノ」と「Lonely Bus」は、どちらも元音源からキーを1つ上げてレコーディングしています。最初は元のキー、1つ下も試して、3つを聴き比べて、一番曲にマッチする高音のキーを選ばせてもらいました。トラックダウンにも時間が合えば立ち合わせていただいて、音の仕上がりを最後の最後まで相談させてもらっていますね。
――バースデーイベントではDTMで作った自作曲を披露しています。ゆくゆくは作詞作曲を手掛けたいという気持ちもあるのでしょうか?
元々DTMをやり始めたのは発声障害で声が全く出せなくなってしまったからなんです。Juice=Juiceの活動をお休みすることになって、でもいじけていても仕方ないじゃないですか。気持ちを切り替えて、この機会に音楽の勉強をしようと思って始めたことなんです。音楽用語やコードのこととか色々覚えられたと思いますが、本格的に音楽を学ぶなら音楽大学なり専門的なところで勉強しなければと思うタイプなので、今は楽しみながら、楽曲の理解を深める意味でやっている感じです。
――ファンは宮本さんが自分で作った曲を聴きたいと思いますよ。
ハードル高いです(笑)。いずれ今の活動が落ち着いて、40代、50代になったときに、今度はそういう活動ができたら素敵だなとは思います。今のところは年に一度、バースデーイベントで披露する特別な曲なので、興味がある方はぜひ聴きにいらしてください。12月1日、25歳の誕生日当日に開催します。
――25歳を迎え、今後の活動で目標にされていることはありますか?
今の活動はとても恵まれた環境の中で行っていて、贅沢をさせてもらっているなと思います。ただ、これから先は自分の力次第だと思うので、コンスタントにCDをリリースして、ツアーを開催できる歌手であり続けること。日本武道館のような大きい会場にソロで立ちたいという夢もありますし、そこに向かって頑張っていきたいと思います。
ハロプロの音楽は血となり肉となり
――今年はハロー!プロジェクト25周年でした。宮本さんはハロプロ純粋培養の1人ですが、自分にとってハロプロの音楽とはどういうものですか?
ハロプロの音楽って、私の中では教科書以上。血となり肉となっていて、私の音楽のベースだと思います。他の音楽も大好きですけど、ハロプロの音楽を聴くと落ち着くんですよね。特につんく♂さんの曲を聴くと、「ああ…これです」みたいな安心感、実家感みたいなものが湧いてきます。他のアーティストさんからはよく、「つんく♂さんの楽曲って難しすぎない?」ということを言われるんですが、逆に私にはどう難しいのか、それが分からないんですよ。音楽のことを何も知らない小学4年生のときにハロプロエッグに入って、当たり前のようにつんく♂さんの楽曲で音楽を覚えたので。DTMで曲を作っていても、気付くとつんく♂さんっぽい転調を入れていたり、メロディーになっている気がするくらいです。本当につんく♂さん成分が体に染み渡っているんですよ。
――つんく♂さんの音楽を具体的に言葉で表すことはできますか?
どんな言葉が合うんだろう…? つんく♂さんと言えばリズムだけど、それだけじゃないし…。メロディーの要素は抜きにして、詞の世界から取ってくるとしたら、“心臓に少女が住んでいる方”だなと思います。だから私たちにその音楽が響くんだと思います。
――宮本さんにとって、ハロプロとはどういうものでしたか?
ハロプロは私の人生の始まりみたいなもので、ずっと続いている“道”ですね。学校ではないよ、と教えられましたけど、小さかった私にとっては仲間もいて、楽しかったり、泣いたり笑ったり、必ずそこに行く学校みたいな場所でもありました。ハロプロを卒業しても、その道はまだ続いている。この先もずっと歩いていく道だと思います。
取材・文・撮影:鈴木康道