恩師シュナイダー先生の手紙がきっかけで「晴見シンフォニー」が誕生
俊平は晴見フィルのメンバーに“ある楽譜”を渡した。それは、俊平が晴見フィルと出会った時に即興で演奏してもらったシンフォニーを譜面に起こしたものだった。
保養施設での無料演奏会では、「私たちの紹介をこの曲でさせていただきたいと思います。私たちの住む街とこのオケのメンバーの物語を音楽で。『晴見シンフォニー』」と、晴見フィルの自己紹介がわりに演奏。これは再びタクトを振ることが出来た俊平の晴見フィルへの感謝の気持ちを込めたものでもあった。
この曲を譜面にしたきっかけとなったのは、シュナイダー先生からの手紙。そこには、5年前に俊平が指揮を辞めた理由が、自身が日本の四国へ逃れた理由と同じだと感じた、と書かれていた。
「空っぽになった。音を奏でることが無意味になった。僕は妻を亡くして、君は娘さんの心を失って。どんなに拍手喝采を浴びようとも一番大切な人がいないと虚しいだけだと、世の中に、音楽に背を向けた」
「もっといい演奏が出来るよ」という言葉が生んだ溝
野球少年だった俊平の真っすぐな情熱が、シュナイダー先生が再びタクトを振るきっかけとなった。音楽を好きになった時の気持ちを思い出させてくれたという。
響は、俊平に届いたその手紙を読み、自分のこれまでのことを振り返った。音楽が当たり前にある環境の中で育ち、音楽が好きになってヴァイオリンを始めた。しかし、年齢が上がるにつれて、「私、小さい頃からいる周りの人たちと違うのかもしれない」という疑問が湧き上がってきたという。
練習してその疑問を払拭したいと思っていた響だが、5年前、その心が折れた。自分にとってベストな演奏が出来たと思ったが、俊平はそれを「すごく良かった!」と誉めながらも「第三楽章、ちょっと走ったね。あそこを修正すればもっといい演奏できるよ」とアドバイスを送った。
その俊平の言葉に、響は分かり合えないことを知った。自分には「もっといい演奏」は出来ないから。
大輝「マエストロは帰ってきた。響さんのところに」
会場を飛び出した響は事故に遭い入院。病室に駆けつけた俊平に響は「パパのせいで私、音楽が嫌いになったんだよ」と泣きながら訴えた。俊平にはその理由は分かっていなかったと思うが、娘にそのような気持ちにさせてしまったことへの罪悪感で、指揮をやめることを決意。
響は、これまでのことと、自分の思いなど全てを大輝に打ち明けた。すると大輝は「でも帰ってきた。マエストロは帰ってきた。響さんのところに」という言葉を響にかけた。
帰宅した響は、読まずに溜まっていた俊平からの手紙を読み返した。そこには音楽の話題はひとつもなく、俊平が響のことを思って一生懸命に話題を探して書いたことが伝わってきた。
5年間の空白が一気に埋まった2人は、“一緒に演奏する”という約束を果たすことに。俊平のピアノと響のヴァイオリンの音色が重なり、ついに和解の時が訪れた…。SNSには「最高すぎる和解に思わず涙が」「最後の演奏シーンに涙が止まりません」「毎回泣かされていますが、今回はずっと泣きながら見てました」という感涙したという声が多数。次回、いよいよ最終回。晴見フィルがどうなるのか見届けたい。
◆文=ザテレビジョンドラマ部