描かれるヒーロー像には、実体験が大きく影響していて…
――このようなヒーローを生み出そうと思ったきっかけやヒントになった出来事があれば教えてください。
僕は、2018年に父親を亡くしているんです。当時、父は一週間ほど集中治療室に入って亡くなったのですが、その一週間、深夜は病院に宿泊し、何事もなければ朝には車で45分の埼玉・熊谷の実家に帰り、そこから東京に出社する日々を送っていました。
無事夜を越えて実家に帰ったある朝、「容体が悪化しています」と病院から電話がかかってきて、急いで車で向かったんです。そのときに僕、スピード違反で捕まったんです。
確か農道の40km/h道路で、「もしかしたら死に際に立ち会えないかもしれない」「これが最後かもしれない」「会いたい」という思いが先立って、スピード超過は絶対にいけないと分かっていつつも、オーバーしてしまって。
「父が死ぬんです」「手続きしている暇なんてないんです」と、警察を振り払ってでも父の元に行きたいと思ったけれど、“世の中のルール”上、もちろん悪いことで。
そんな経験から感じたんです。もし僕がドラマの視聴者で、僕みたいな状況の主人公を見たら、逆に警察を突破してでも会いにいく主人公だったとしたら、”悪”と思うのだろうかと。そんなとき人はどうするのだろうか、視聴者の皆さんにも同じような経験があるのではないだろうかと。
もう一つ、僕がいつも思っていることがあって。これはドラマの中でも描いているのですが、都内の道って、白バイが死角にいるんですよ。確かそのときは、死角にいて、赤信号のギリギリで左折してしまったかなんかで、捕まった車がいたんです。
でもそれって、取り締まるのだとしたら、もっと見えるところにいて、予め注意喚起した方がいいじゃないですか。事故が起きる可能性だってありますし。交通ルールをしっかり守らせるためなら、一旦罰を与えたほうが良いけど、交通事故を抑止するなら、そもそも見える位置にいて違反を起こさせないほうが良いのではないかと。一体、どちらが善なのだろうかとずっとモヤモヤしていました。
そんな中で、コロナ禍になり、“マスク警察”みたいなものができて、病気になった人が感染したことで責められるような騒ぎが続いて、そういう“行き過ぎた善”みたいなものの度が過ぎるようになってきて、悪を行う主人公だけど、それが何かを変えるきっかけになる悪だったら、それは称賛されるのではないか、それこそが善なのではないかと考えるようになりました。
だとしたら、この世の中で一番悪いこと、それは殺人だと思っているのですが、その一番悪いことをした人を許す、救う主人公を描けたら、何かを伝えられるのではないか、そんなことを思ったのがきっかけでした。
――昨今はSNSでも考察がブームですが、その辺りの狙いはありますか?
そこはあまり意識しなかったのですが、視聴者に対してよりしっかりとしたストーリーを届けたい、ちゃんと見てもらいたいという気持ちがあります。
殺人犯を無罪にするのって、ただ事じゃないじゃないですか。なので、そこには何か理由がほしいなと思っていて。もちろん、エンターテインメント作品としてではあるのですが、そういった人物として成立させるために何か理由がほしい。
そうなると何かを抱えている人間でなければいけない、という中でストーリーを組み立てていくと、それぞれのキャラクターがいろいろな側面を持つようになっていきました。故に、考察を促すような、伏線がたくさんある題材になったかなと思います。
――最後に視聴者へ向けたメッセージをお願いします。
何かを伝えたいとか、感じてほしいというよりは、とにかく楽しんでほしいです。僕らは長谷川さん演じる主人公を、いかに視聴者の方をドキドキワクワクハラハラさせるキャラクターにできるかというのを意識し、全身全霊を懸けて全力で制作しています。
その中で何かを感じることがあればうれしいなというぐらいなので、あまり難しく考えず、とにかく長谷川博己さん演じる主人公を見てください。よろしくお願いします!