松本明子「進め!電波少年」の過酷ロケを回想 波乱万丈の愛車遍歴も告白<おぎやはぎの愛車遍歴NO CAR, NO LIFE!>
松本明子が、「愛車遍歴」を紹介するカートークバラエティ「おぎやはぎの愛車遍歴NO CAR, NO LIFE!」(毎週土曜日夜9:00-9:54、BS日テレ)10月26日(土)の放送に出演。アイドルとして活動をスタートするも順風満帆とはいかず、紆余曲折を経て「進め!電波少年」に出演した松本が、当時の過酷なロケや自身のカーライフについて語る。また、初愛車をめぐっては番組初の珍事も発覚し、番組キャストが騒然とする驚きのエピソードも披露される。
オーディション番組で破った2人の実力派の名前に、おぎやはぎ驚愕
82年、人気オーディショ「スター誕生!」でチャンピオンに輝き、華々しく芸能界への門を開いた松本。同番組に参加していた顔ぶれを聞いて、MCのおぎやはぎ2人が凍り付く。ハスキーなハイトーンボイスで人気の男性歌手、さらにはミュージカルなどでも活躍した女性歌手と、実力派のライバルを破ってのデビューだったという。
83年に歌手デビューした松本だが、1年先輩は、小泉今日子、中森明菜、堀ちえみ、松本伊代と華々しい顔ぶれがそろう“花の82年組”。その後、83年組の同期の名前を挙げていくが、おぎやはぎ2人の反応は薄かった。松本は「芸能界に入るなら」と、多くのタレントを輩出した有名校にも入学。そこで垣間見た人気スターの光と影も明かし、松本がとった優しすぎる行動に、おぎやはぎは思わず感動してしまう。
そんな松本の愛車遍歴は、20歳の時に買った初愛車から。ところが、おぎやはぎの表情が渋い。ここで、14年目に突入した本番組で初めてのハプニングが発覚する。2台目の愛車は、BMW3シリーズと、一気に芸能人感が増す。松本は「デビューから10年たちまして、自分のレギュラー、DAISUKI!、電波少年が始まり、TVチャンピオンが始まり…」と当時を振り返り、恐れ知らずの行動力でバラエティーアイドルとして確たる地位を築いていた頃の愛車であることを告白する。
ラジオで放送禁止用語発言事件、不遇の年月を振り返る
しかし、ここまでくるには多くの紆余曲折もあった。有名なのは、ラジオの深夜生放送で、松本が4文字の放送禁止用語を口にしてしまった“ある事件”。現場のスタッフが即座に取った行動など、当時の状況、その後の不遇の年月を、生々しく振り返る。
そしてその後、アポなし取材が人気を博し、国民的バラエティー番組となった「進め!電波少年」についての思い出も赤裸々に披露。松本は、出演の意外ないきさつや、過酷だったロケの思い出エピソードを回想し、一歩間違えば命を落としかねない危険なロケのエピソードや、その取材内容が明かされた。
当時を振り返りながら「面白いVTRを撮ってくるのが自分の使命じゃないかな、というのが芽生えてきちゃった時代ですね」と語る松本に、矢作兼も「無事でよかったよ。」と胸をなで下ろす。
国産車志向に変わったきっかけは“香川から呼び寄せた両親”
30代以降の愛車遍歴は、香川から呼び寄せて一緒に生活していた両親の意向が大きく反映されたという。「父親がゆったり乗りたいと」と、トヨタのセルシオ、レクサスと国産の高級車志向に変わっていったという。その中の1台は人生で一番運転した車だといい、そこには夫の俳優・本宮泰風との一風変わった夫婦生活も関係していることが明かされる。
両親が亡くなった後、長い年月と大金をかけて、香川の自宅じまいも経験。車で何往復もした苦労話も語られるなど、波瀾万丈の人生を歩んだ松本の隣には、常にクルマという存在が寄り添っていたことが伺える内容となっている。