“神の業と人間の罪”が描かれる第8話(以下、ネタバレが含まれます)
第8話は“神の業と人間の罪”が描かれる。興玉はこれまで何度も「人間は信用できません」と口にしてきた。そして今回、「善意でも悪意でもどちらか一つに染まったときの人間が、一番恐ろしいですから」と呟く。第8話ではまさに「善意でも悪意でもどちらか一つに染まったときの人間」の恐ろしさと愚かさ、そして罪深さが浮き彫りになる。そして行き過ぎた正義感が悪意と表裏一体であることに警鐘を鳴らす回となった。
SNSが私たちの日常になった今日、人は誰でも“神のように”誰かを裁ける。著名人だけでなく一般人でも簡単に炎上する時代。誰かの悪意(善意)が誰かの善意(悪意)を刺激して、一丸となって対象の者をコテンパに袋叩きにする。いわゆる“私刑”が執行されるのだ。
前後も背景も分からず一部だけ切り取られたその一瞬が瞬く間に拡散され、同時に真偽は分からない情報が膨らんでいく。そして、あたかもそれらが真実であるからとデタラメな正当性を盾に大勢がその対象者一人(もしくは数人)を攻撃する。
私たちは常にハイエナのように火の素を探し、そして無責任にそれを燃やして誰かを焼き殺す。ネット社会に踊り踊らされる日々。だが、私たち誰もがいつかその火に焼き殺される可能性も持っているのだ。ある意味これも小さな戦争である。
そんな人間たちの殺し合いの歴史をずっと見てきた神たちは、「人間は信用できない」と口を揃える。人間の醜さにそして繰り返す愚かさにうんざりし、絶望すら覚えている印象だ。宇喜之民生(小日向文世)は言う、「我々は何度も人間を信じてきました。でも、その度に裏切られてきたんです」。
なぜ神は何度も人間に裏切られるのか。その過程が見えた第8話。人間の裏切りに耐え忍んできた神の暴走は果たして罪なのか。視聴者である我々は彼らの罪をどう裁く。神を軸にした物語ではあるが、現在に生きる私たちにとって実にダイレクトにヒットするリアルなテーマに、考えさせられる視聴者は多いのではないだろうか。
物語はまさにクライマックスを迎えているが、まだ二転三転ありそうな雰囲気も漂っている。全決に疑いの目を向ける警察、そして様々なところで起こる裏切りと明かされていく隠された真実…。果たして“ヒルコ”との対決はどんな結末を迎えるのだろうか。
第8話の地上波放送を前に、FODでの先行配信を観た視聴者たちからSNS上で「8話の内容辛すぎたけどマジで面白い」「先行8話見て人間に絶望してる…」「8話見てうわああああ!ってなってる…まさか…ショック…」などの声が上がり、話題となっている。
構成・文=戸塚安友奈
エイベックス・ピクチャーズ