2024年春、映画『青春18×2 君へと続く道』のため来日したシュー・グァンハン(許光漢)にインタビューする機会があった。「日本のファンに観てほしい台湾映画は?」と尋ねると、グァンハンは「難しい質問ですね、どうしようかな」と少し悩んでから、「チョン・モンホン(鍾孟宏)監督の作品」と答えてくれた――。スクリーンという巨大なキャンバスに、美しい台湾の風景と、大スケールでダイナミックな物語を描き出す。鬼才チョン・モンホンは、唯一無二の作品世界に観る者を引き込み、ガツンと骨太なテーマを語る、台湾映画界でも異色のストーリーテラーだ。今回はNetflixで配信中の『ひとつの太陽』と『瀑布』、そして話題の最新作『餘燼(原題)』から、作品の魅力とクリエイターの視点に迫りたい。
圧巻の家族劇『ひとつの太陽』
アメリカの大学院で映画を学んだモンホンは、帰国後に広告業界に入り、数々の広告やテレビCMを制作。ドキュメンタリーやミュージックビデオを経て、初の長編劇映画『停車(原題)』が公開されたのは2008年だった。1965年生まれ、40歳を超えてからの監督デビューだが、その後は2~3年に1本というハイペースで新作を手がけている。
監督第5作『ひとつの太陽』(2019年)は、「台湾版アカデミー賞」こと金馬奨で最優秀長編劇映画賞・最優秀監督賞など5部門に輝いた、モンホンにとってターニングポイントと言える一作だ。
物語はチェン家の次男アーフーの逮捕から始まる。いじめっ子のオレンに対する仕返しを頼んだ相手のツァイトウが、オレンの手を刃物で切り落としたのだ。家族にふりかかったのは被害者への賠償金に加え、アーフーが15歳の少女シャオユーを妊娠させていた事実。自動車学校の教官である父アーウェンは、いよいよアーフーを見放し、医大受験を控える長男のアーハオに期待をかける。しかし、さらに思いがけない事態が一家を襲うのだった。
少年院に収容されて前科持ちとなったアーフーと、ある日突然に犯罪者の家族となった家族をめぐる物語は、淡々と、しかし観る者の想像を超えてハードな展開へと転がってゆく。「一番近いはずが、ある意味では最も遠い存在」としての“家族”をテーマとしたヒューマンドラマに、ひとつのミステリーを絡み合わせながら、衝撃的な事件の前後に流れる時間そのものをえぐり出した。
モンホンは監督・脚本のほか、別名「中島長雄」として撮影監督も兼任。雄大な自然から乾いた都市の空気、人物の表情までを的確にとらえながら、緊張感のあるリズムで観客を導く。全編にわたりシリアスな展開が続くなか、時折挟み込まれるユーモアのおかしみが独特のアクセントだ。
堅物だがどこか無責任な父アーウェン役は、エドワード・ヤン作品でキャリアを積み、監督業を経て、近年は俳優として活躍するチェン・イーウェン(陳以文)。次男アーフー役は『共犯』のウー・チエンホー(巫建和)、そして長男アーハオ役を『青春18×2』や『僕と幽霊が家族になった件』のシュー・グァンハンが演じた。キーパーソンのツァイトウ役は、『1秒先の彼女』のリウ・グァンティン(劉冠廷)。
155分という長尺ながら、配信でも集中力をまったく切らさずに観られるのは、巧みな脚本と映像美、そして俳優陣の名演ゆえ。理不尽に翻弄される家族を通して、社会の格差や構造的問題、さらには“人生”という巨大な主題を提示する手腕に唸らされる。モンホン作品の優しさと残酷さ、映画作家としての筆の太さを堪能できる傑作だ。
コロナ禍の閉塞感『瀑布』
監督第6作『瀑布』(2021年)は、新型コロナウイルス禍の真っ只中だった2020年の台北で暮らす一組の母娘を描く物語。ヴェネツィア国際映画祭に出品され、金馬奨では最優秀長編劇映画賞・最優秀オリジナル脚本賞など4部門に輝いた。
外資系企業で働くキャリアウーマンのピンウェンと、受験を控えた高校生の娘シャオジンは二人暮らし。ある日、シャオジンの同級生が新型コロナウイルスに感染したことから、シャオジンは自主隔離を求められ、ピンウェンも出社停止となった。自宅のマンションは外壁工事中で、窓はブルーシートに覆われて日光が入らない。
ニュースからはヨーロッパの医療崩壊が伝えられ、娘とのコミュニケーションもうまくいかないなか、とうとうピンウェンは心の調子を崩してしまった。シャオジンは一人で母の世話をすると決意するが……。
タイトルの『瀑布』とは滝のことで、ピンウェンは滝が流れる音の幻聴を耳にするようになる。感染拡大を受けたロックダウン、人々のソーシャルディスタンスが求められた2020年当時の空気を再現し、ブルーシートに覆われたマンション=都市に出現した滝のモチーフと、そのなかで外部とつながれずに暮らす母娘の孤独と息苦しさを掘り下げた、これまたシビアな一本だ。
『ひとつの太陽』と共通するのは、理不尽に直面する家族を再び正面から描いたこと。どんな災厄や予想外がふりかかっても、その先には生きるべき未来がある――どこかテーマにも重なるところはあるが、コロナ禍という世界共通の問題を軸にしたことで、(描く対象は小さくなったにもかかわらず)より普遍的な物語となった。前作から一転、モンホンの優しさが強調された映画でもある。
母ピンウェン役はドラマ「悪との距離」のアリッサ・チア(賈静雯)、娘シャオジン役は『返校 言葉が消えた日』などの人気女優ワン・ジン(王淨)。ともに金馬奨の最優秀主演女優賞にノミネートされ、チアが受賞した。モンホン作品の常連者であるチャン・イーウェンも後半の重要人物として登場する。ちなみにモンホンは、この映画から自身の本名で撮影監督を務めるようになった。
豪華キャストのサスペンス大作『餘燼(原題)』
モンホンの監督最新作は、2024年11月に台湾で公開されたばかりの『餘燼(原題)』。日本語で「燃え残り」という意味だ。金馬奨では5部門にノミネートされたが、モンホン史上最大の問題作として物議を醸している。
題材は、1949年から1987年にかけて、台湾政府が民衆を弾圧した「白色テロ」。1949年に中国大陸から現れた国民党政権は、政府に反抗的な国民を政治犯とみなして次々に投獄した。戒厳令の解除までに逮捕された人数は約3万人、そのうち約4,500人が処刑されたが、冤罪だった者も少なくなかったという。「ひとりの犯罪者を捕まえるためなら罪なき者を10人殺してもいい、そういう時代だった」と、劇中の登場人物は口にする。
主な時代設定は2006年。台北市内の市場で、塾経営者が刺殺される事件が発生する。同じころ、事件の捜査を率いる刑事のもとに、タイで英語教師として働く女性が、台湾に住む父親が失踪したと相談にやってきた。やがて捜査線上に、1950年代に存在したワン・ダーポンという人物が浮上する。名前以外の情報が残っていない、まるで幽霊のような男だ。
刑事はワン・ダーポンの正体を追い、2つの事件を捜査するうち、恐ろしい歴史に近づいていく。2006年と1956年、それぞれの時代を生きる人びとの物語が絡み合うとき、台湾現代史の悲劇と、ある人物の壮大な復讐計画が浮かび上がって――。
多数の登場人物が入り乱れる複雑なプロットに加え、細やかなエピソードとユーモアの積み重ねを大切にするアプローチも健在で、上映時間は162分と自身最長。『ひとつの太陽』と『瀑布』ではミニマムな家族劇から大きなテーマを描いてきたが、本作では国家や歴史の絡む壮大なサスペンスに挑んだ。
よりチャレンジングだったのは、戒厳令下の当時を舞台に白色テロを描いた作品が多いなか、モンホンが現代劇でこの歴史に向き合ったこと。時代設定こそ2006年だが、ここには2024年のフィルムメイカーならではの明確な視点がある。だからこそ、もとよりデリケートなテーマで、白色テロの被害者遺族には存命者も多いゆえ、本国での賛否両論は必然だったのだろう。しかし本作は、ローカルの問題を突き詰めることで、現在の世界が抱える対立と分断、そして戦争の困難をあぶり出した、きわめて現代的な映画でもある。
本作には、台湾の映画界から豪華キャストが集まった。『牯嶺街少年殺人事件』以来、国内外の話題作に多数出演する主演のチャン・チェン(張震)と、一人二役を演じた『親愛なる君へ』のモー・ズーイーは、それぞれ金馬奨の主演・助演男優賞候補となっている。
共演者には『ひとつの太陽』と『瀑布』にも出演したティファニー・シューやリウ・グァンティン、チェン・イーウェンのほか、名優チン・シーチェ(金士傑)、『セデック・バレ』のマー・ジーシアン(馬志翔)ら。『漂亮朋友』で金馬奨の主演男優賞に輝いたチャン・ジーヨン(張志勇)も登場するなど、カメオ出演者まで驚きの顔ぶれが集結し、物語に説得力と厚みをもたらした。いま、台湾映画界でモンホンが圧倒的な信頼を得ていることの証左だろう。
台北での舞台挨拶後、筆者がモンホン監督に「日本でのリリース予定は?」と尋ねたところ、残念ながら現時点での予定はないという。「若い人にこの歴史を知ってほしかった」と語る意欲作、日本でも観られる日が来ることを祈るばかりだ。
文/稲垣貴俊